コリ梅
173-ノロジカの尻っぺたを追え!(5)
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「ここでグダグダ言うよりも、実際に見たほうがわかりやすいだろ」 話を始めてしばらくたった頃。徳圭じいさんはいきなりそう言ったかと思うと、すっくと立ちあがり、ドタドタと部屋から出ていってしまった。韓国語のわからない俺と浜下はそのセリフを理解できず、徳圭じいさん怒らせてしまったのかと思ってギクッとしたのだが、李さんと赤井くんの通訳を聞いて、ほっと胸をなでおろした。 「見たほうがわかりやすいってのは、今から猟に出るということかな」 浜下が言った。 「そのようですね」 赤井くんが答えた。 あまりに急な話ではあったが、徳圭じいさんが準備を始めてしまった以上、俺たちもそれについてゆくよりほかなかった。俺たちとしてはもう少し、基礎的な部分の話を聞いておきたかったのだが、あきらめて出発の準備を整えることにした。 俺たちが取材の準備をしている横で、赤井くんと李さんは通訳の方法についての打ち合わせを始めた。方言のきつい徳圭じいさんの話を李さんが聞き取り、わかりやすい標準語に直して赤井くんに伝える。それをさらに日本語に直して俺たちに伝えるという形になるため、きちんとやらないと伝言ゲームになってしまう可能性があった。 通訳すべき内容の確認や、また赤井くんが大体の方言を聞き取れるように、だいたいの特徴を李さんがかいつまんで教えていた。 「ホントか!?」 赤井くんが突然大きな声を出した。 出発の準備をしていた俺と浜下の手が一瞬止まった。なにやら李さんと赤井くんの間で、意見の行き違いのようなものがあったようだ。2人の会話が、打ち合わせというには熱を帯びすぎたものになっているのが、韓国語のわからない俺にもわかった。 「どうしたの?」 俺が声をかけるのと、扉がガラッと開いて、「いくぞ!」と徳圭じいさんのしゃがれた大声がかかるのとほぼ同時であった。芽生え始めていた不穏な空気は瞬間的に霧散し、俺たちはそのまま徳圭じいさんの後について家を飛び出した。 どんな準備が必要だったのか、徳圭じいさんは明らかな軽装であった。ノロジカを捕まえるというからには、猟銃だとか、または罠のようなものが必要になると想像したのだが、徳圭じいさん人が持っているのは小さなカゴがひとつだけだった。 「徳圭じいさんは手ぶらなんだな」 俺は手を口元に添えて浜下にささやいた。 「そうですね。たぶん罠をどこかに仕掛けてあるんじゃないですか」 浜下はさらりと答えた。ヤツにはさほどの違和感はないようだった。 徳圭じいさんの家の裏庭から、岩がゴロゴロしている山道へと分け入る。車を降りてからも山道を歩いて来たが、それにも増してきつい上りであった。山道というよりはケモノ道。それも次第に道なき道というようなものになっていった。徳圭じいさんは軽快な足取りでほいほいと進んでいく。俺たちはついていくのに精一杯であった。 上り始めてしばらく行ったところで、どのような目印があったのかはわからないが、徳圭じいさんは「ここだ」と言って、藪の中へと入っていった。草木が生い茂った斜面をナナメに下っていくルートは、ちょっとでも気を抜いたら足を滑らせてしまうような厳しい道であった。 木の幹をつかみ、足場を固めつつ、注意に注意を重ねて歩いていく。ずりずりと滑り下りるようにして200mほど行くと、わずか5m四方ほどの平たいスペースがあり、そこで徳圭じいさんの足が止まった。 徳圭じいさんは全員がそこに集まってくるのを待ち、おもむろに口を開いた。先ほどまでのにこやかな口調ではなく、ピシッと張り詰めたプロの顔がそこにはあった。 「君たちはここで待っていなさい。ここから先は秘密だ。どんなに親しい友人、知人であってもここから先を案内することはない」 そう言い残すと、徳圭じいさんは崖のような斜面をテンポよくひらりひらりと下っていった。岩と岩のくぼみで、大きく身体を翻したかと思うと、もうすでに徳圭じいさんの姿は見えなくなっていった。俺たちの視界から徳圭じいさんが姿を消すまで、わずか10秒ほどのことであった。 「これは追いかけたくても無理だ。仕方ない。座って待とう」 俺はその場にぺたんと腰を下ろした。徳圭じいさんがノロジカを捕まえるところは絶対に見逃せない場面ではあったが、崖のほうを見ると、とても素人には下れそうにないような崖だった。 俺は背中に食い込んでいた荷物をどさっと下ろし、ペットボトルのミネラルウォーターをごくごくと飲み干した。わずか40分たらずの行程ではあったが、それまで1時間程度を歩いていたこともあり、身体はぐったりと疲れていた。 その場に全員が座りこんで一息ついたとき、赤井くんがぼそっと呟いた。 「ひとつ悪い知らせがあります」 俺と浜下が赤井くんのほうを見た。 赤井くんの顔は少し青ざめているようだった。 「最悪の知らせです。僕はお2人に深くお詫びをしなければなりません」 俺と浜下は一瞬互いの顔を見合わせ、再び赤井くんのほうに視線を向けた。俺たちには何も言葉はなく、赤井くんの次のセリフをただじっと待った。赤井くんは大きく吸った息を鼻から吐くと、俺と浜下の目を順番にまっすぐ見つめた。 「まず梁徳圭さんですが、ノロジカ獲り名人ではありません」 「…………?」 「…………?」 動揺を押さえようとしているのだろうか。赤井くんの口調は、ゆっくりとそして静かであった。休憩で少し身体の冷えた俺の背中を、一筋の汗が流れていった。 「ノロジカ獲り名人ではない……」 浜下が言った。 「はい。ノロジカ獲り名人ではありませんでした。そもそもノロジカの尻肉というのが、とんでもない大間違いだったのです。確かに梁徳圭さんは、ノロジカの尻を採る名人ではありますが、それは我々がイメージするノロジカの尻とはまったく違うものでした」 「まったく違うと言うと?」 浜下が聞き返す。 「大きな誤解だったのです。ノロジカの尻肉という単語は、ノロジカの尻部分の肉という意味ではありませんでした」 俺には言われていることが、さっぱり理解できなかった。徳圭じいさんはノロジカ獲り名人ではないが、ノロジカの尻は採る。そしてそれは我々がイメージするノロジカの尻ではない。 「ノロジカの尻肉というのはですね……」 と赤井くんが説明しかけたところへ、徳圭じいさんが戻ってきた。 「ほおら、いっぱい採れたぞお」 と言っているように俺には聞こえた。元気な明るい声だった。 徳圭じいさんは満面の笑顔で崖をよじ登ってきた。最後のひとよじ登りは、勢いをつけたひらりと軽快なジャンプであった。徳圭じいさんは俺たちが座っているところまで来ると、腰のあたりにくくりつけたカゴをポンポンと叩いてみせた。俺たちは徳圭じいさんの勢いにつられるように立ちあがり、なんとなく曖昧に笑う。徳圭じいさんは腰のカゴを外し、そこから採ってきた獲物を取り出した。 「どうだ。大物だぞ」 徳圭じいさんが取り出したのはふさふさとした毛に覆われた白い球状の物体だった。手のひらに収まるくらいの小さなハリネズミという感じである。徳圭じいさんは手のひらに乗せたそいつを俺たちの目の前に差し出してみせた。 「な、なんですかこれは?」 俺が言った。 「キノコの一種です。韓国語ではノルグンデンイ。直訳すると、ノロジカの尻という意味になります」 赤井くんが静かな声で言った。 「キノコ?」 「ノロジカの尻?」 俺と浜下の声がかぶった。赤井くんは黙ってコクンと頷いた。 徳圭じいさんが採ってきたノロジカの尻は、日本でヤマブシタケと呼ばれているキノコであった。韓国語ではノルグンデンイ。ノルは韓国語でノロジカのこと。グンデンイというのが尻を表すのだそうだ。 ノロジカの尻は、クヌギやブナなどの枯木に生えるキノコで、中国や日本などにも自生している。ガン予防などにも効果があるということで、幻のキノコとしても崇められているそうだ。後で知ったことだが、中国では熊の手、フカヒレ、ナマコとともに山海の4大珍味として数えられてもいるそうだ。 徳圭じいさんは家に戻ると、ヤマブシタケをはじめ、シイタケ、イワタケ、ヒラタケなど、キノコがたっぷり入ったポソッメウンタンという鍋料理を作ってくれた。唐辛子をたっぷりと入れた激辛の鍋で、キノコの歯触りとコクのあるスープが絶妙だった。俺たちは夢中になってキノコ鍋をむさぼった。 「いやあ、うまい。ノロジカの尻はうまいですねえ」 浜下が恥ずかしくなるくらい浮かれた声で言った。 それを赤井くんが通訳すると、徳圭じいさんは、がはははと大声で笑った。浜下がおおげさに褒めるまでもなく、確かにうまいキノコ鍋だった。 俺はキノコ鍋をすすりながら、第6回の特集をこのままノロジカの尻肉ですすめていこうと決心した。雑誌社の編集デスクは仰天するだろうが、こんなにもうまいキノコをみすみすお蔵入りにすることはできない。 今までの肉料理路線からはまったく外れてしまうが、こんなにもドラマチックなキノコだったら読者も文句は言わないだろう。いや、文句など言わせてたまるか。俺にはこのうまいノロジカの尻キノコを、日本に伝える義務があるのだ。 そう決意すると腹の底から、なにやらこらえることのできない笑いがこみ上げてきた。俺の目の前では徳圭じいさんが満足そうに笑っている。 俺は徳圭じいさんと一緒になって、がはははと大声で笑った <終わり> 2007年05月06日 |
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