コリ梅
172-ノロジカの尻っぺたを追え!(4)
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取材3日目の朝を迎えた。気分はよくない。 昨日ソウルを離れ、俺たちは束草という韓国最北端の市にやってきていた。束草到着初日の目的は、ノロジカの里へ行くためにベースキャンプを張るということ。そして、ノロジカについての詳しい情報収集であったが、結果はまったくもって芳しくなかった。 ソウルではノロジカについての具体的な情報がほとんど得られなかったため、現地に来てから詳しい情報を仕入れようということにしていたのだが、この束草に着いても話はまるで進展しなかったのだ。 俺たちは昨日、遅い昼食をとった食堂を皮切りに、ありとあらゆる場所でノロジカ情報の収集にいそしんだ。束草市役所の観光課、高速バスターミナル前にある観光案内所、束草中央市場で働く人たち、果てはそのへんにいるヒマそうな人たちすべてに声をかけてみたが、俺たちの求める「ノロジカの尻肉」について心当たりのある人物はいなかった。 現地に到着すればと楽観視していた俺と浜下は慌てに慌てた。もちろん赤井くんも沈痛な表情を浮かべている。コーディネイターとしての責任もあり、胃の痛いところだろう。 「む。この干ダラのスープってのは、うまいねえ」 浜下がおおげさな声で、カッと目を見開きながら言った。 「ええ。ファンテヘジャンククといって、これもこのあたりの名物料理なんですよ。野外でじっくりと乾燥させたスケトウダラからすごく濃厚ないいダシが出るんです」 赤井くんが答える。 「いやあ、うまいよ。韓国料理は辛い料理ばっかりかと思ったら、こういうしみじみさっぱりした料理ってのもあるんだねえ。なんていうか、この干ダラの香ばしさが郷愁をそそるっていうか……」 「懐かしい味がしますか?」 「そうそう。初めて食べるのに、どこか懐かしい味。うん。うまいねえ」 浜下は必要以上にうまいを連呼した。ヤツなりにこの停滞した雰囲気を盛り上げようとしているのだろう。取材にトラブルやハプニングはつきもの。うまくいかないからといって、そこでイライラしたり、くさったりしてはいけない。気分をハイに保ってこそ、次のラッキーが転がり込んでくる、というのがヤツの哲学だった。 「昨日のイカ尽くしもなかなかだったし、束草にはうまいものが多いねえ」 浜下が笑顔で続けた。ノロジカについての情報収集はうまくいかなかったが、俺たちの食事は大当たりの連続だった。昨日、遅い昼飯を食べたときに、食堂のアジュンマから束草はスルメイカがうまいと薦められたため、俺たちはならばとスルメイカ料理を食べに行ったのだった。 新鮮なスルメイカの刺身に始まり、スルメイカと野菜を甘辛ソースで炒めたイカのプルコギ、そしてイカの腹にもち米や野菜、ひき肉などを詰め込んだイカ飯風の料理も食べた。どれもこれも素晴らしい味であった。 「まあ、これだけうまいものを食べられるところなんだから、ノロジカの尻肉も食べてみればきっとうまいんだろうよ」 俺が言った。 「そうですね。これだけ情報が手に入らないというのも、逆に考えれば、よりマボロシ度が高いってことですからね」 浜下が干ダラのスープをすすりながら答える。 おでこのあたりに玉の汗がキラキラと光っていた。 「朝食を食べ終えたら、早速出発しよう。ノロジカ獲り名人の住むところは、ここから車で2時間程度って言っていたよね。昨日情報を仕入れられなかった分、ゆっくりと名人の話を聞く時間を取りたいな」 俺は赤井くんに向かって言った。 赤井くんは口をきゅっと結んでひとつ深く頷くと、横に座っていた李さんと韓国語で打ち合わせを始めた。俺は器に残っていたスープを、ぐっと一息に飲み干した。 李さんの運転する車に揺られて2時間。そこで車を降りて、そこからは歩きだった。ノロジカ獲り名人の住む家というのは山奥深くにあり、人ひとりやっと通れるだけの急坂を、さらに1時間歩く必要があった。 俺たちは汗をダラダラと流しながら、ヒイとかハアとかを口々に呟きながら、ヨタヨタオロオロと山道を登っていった。まるで仙人にでも会いにいくかのような、しんどい道のりであった。 到着してみると、ノロジカ獲り名人の家は、いかにもというような年期の入った家である。門を抜けると、やけにだだっ広い庭の向こうに、強風防止のためのヒモを巡らせた藁葺き屋根の家が見えた。木材と土壁という伝統的なスタイルの家は、自然の中に溶け込んでおり、俺には家が迷彩服を着ているように見えた。 縁側を上がったところに、かがまなければ入れないくらいの小さな障子の入口があり、俺らはそこから部屋へと通された。天井が低く、圧迫感さえ感じられる狭い部屋には、古い箪笥が置かれ、見事な書がかけられていた。どこか世俗の時間から切り離されたような、静けさの支配する家だった。 やがて、ノロジカ獲り名人が部屋に入ってきた。名人と呼ばれるだけあって、さすがに年輪の刻まれた味のある顔をしている。体格は小柄で、物腰も穏やかだったが、態度は堂々としており、威厳と風格が感じられた。俺たちは少し緊張しながら、それぞれが挨拶を交わした。 ノロジカ獲り名人は梁徳圭(ヤン・ドッキュ)と名乗った。歳は数えで68とのことである。俺たちは名人の奥さんが熱いソバ茶を出してくれたので、それをすすりながら早速本題に入らせてもらうことにした。 今回、間に紹介してくれる人がいたとはいえ、俺たちの目的が正確に伝わっているとは考えにくかった。せいぜい、なんだかよくわからないけれども日本人が取材に行くから宜しく、という程度のものだったのではないだろうか。 俺たちはそのあたりのことも踏まえて、最初から順を追って説明しようとしたが、意外にもノロジカ獲り名人は俺たちの目的のほとんどを、きちんと把握していたのだった。 「ノロジカの尻を探しに来たんだったな」 名人はまずそういうと優しい目でくしゃっと笑った。俺たちが口火を切る前に、名人の方が嬉しそうな笑顔でつらつらとしゃべり始めたのだった。ノロジカ獲り名人などというから、気難しい人なのかと思ったら、どうやらしゃべり好きのじいさんという感じであった。俺たちはそれを知って、少し安心した。 と、そのあたりで突然、赤井くんの様子がおかしくなった。なにやら通訳をするのに問題が生じているようである。 「どうしたの?」 俺は話の切れ目を狙って、つつくような小声でささやいた。 「いや……。名人の話がよくわからないんですよ」 赤井くんは困った表情で言った。 「わからない?」 「ええ。こんなにひどい訛りは初めてです」 確かに意味もわからない俺が聞いても、徳圭じいさんの声はガラガラとしゃがれており、聞き取りにくそうだった。その上、土地の方言で話すとなると、ネイティブ以外ではお手上げというレベルになるのかもしれない。 しばらく話してみた結果、まず徳圭じいさんの話を李さんが聞き取って赤井くんに伝え、それをさらにまとめなおして俺たちに伝えるという、まどろっこしい方法をとることになった。 「ああ、なるほど……」 赤井くんが、李さんから話を聞いて頷く。 「ええと、このおじいさんなんですが、ノロジカ獲り名人である前にですね。シンマニと呼ばれる職業の人なのだそうです。シンマニというのは、山に自生する高麗人参を掘ることを生業としている方々です」 「ほう。そんな仕事があるんだ」 浜下が神妙な顔でつぶやく。 「ええ。現在韓国で流通している高麗人参というのはほとんどが栽培物です。山に自生する高麗人参は非常に珍しく、専門的な知識がないと見つけることすら不可能だそうです。栽培物に比べ薬効も高く、良質のものは1000万円ほどの値段で売買されることもあるとのことです」 「それを、名人が言っているの?」 俺が質問する。 「いえ、彼女の付け加えた基本的な説明も少し混ざっています」 「ああ、そうだよね」 やっかいな方言であることに加え、専門的な知識も必要な会話なのだ。事前に情報があれば赤井くんも予習ができたのだろうが、今回は最初から最後まで出たとこ勝負なのであった。運転手役として李さんについてきてもらって本当によかったと、心の中で俺は思った。 「もともとはそういった高麗人参を掘ることが専門なのですが、高麗人参以外にも様々なものを山から採っているようです。シンマニにもレベルがあるようで、経験豊富で熟達したシンマニのことをオインマニと呼ぶそうです。このおじいさんは自分のことを最高のオインマニだと言っています。つまりは山のスペシャリストといったところでしょうか」 赤井くんの説明を聞き取ったかのようなタイミングで、徳圭じいさんは俺たちに向かってにやっと笑いかけてきた。 「なるほどね。それで高麗人参のほかにノロジカも獲るんだ」 俺は納得して、深く頷いた。 <(5)に続く> 2007年04月17日 |
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