コリ梅

171-ノロジカの尻っぺたを追え!(3)

 

 

 言葉上は入念と名乗った打ち合わせを俺たちはほどほどで終え、「腹が減っては戦が云々」などと適当な理由をつけて、赤井くんオススメのプデチゲ専門店へと出かけることにした。プデチゲとはソーセージやハム、インスタントラーメン、スライスチーズなどの洋風材料を投入した鍋料理のことである。

 

 鍋料理に洋風材料というのはどうかとも思ったが、実際に食べてみると、不思議なことに激辛のス―プとよくあった。白菜のキムチも大量に入っており、これらをつまみながら焼酎のストレートをクイクイと飲んでいると、俺たちはたちまち絶好調になった。

 

 当然、1軒目だけで終わるはずがなかった。明日があるからと先に帰った赤井くんと李さんを見送り、俺たちは上機嫌で路地裏をねり歩いた。目に止まった薄暗い民俗酒場にもぐり込み、そこでマッコルリという韓国のどぶろくをぐいぐいとあおる。

 

 つまみには特製のヘムルパジョンとアルタンというのを取った。ヘムルパジョンはイカやエビ、貝などの海産物がたっぷり入ったネギ焼き。アルタンはタラコの入った真っ赤なスープだ。どちらもたまらないうまさで、ものめずらしさからも、俺と浜下はガツガツと食べた。やがて俺たちは絶好調から前後不覚へと酔いのレベルをエスカレートさせていった。

 

 せっかく取った特級ホテルはなんの意味もなかった。俺らはその整った最高レベルの設備をほとんど何も使用せず、二日酔いで痛む頭を抱え、やっとなんとかシャワーを浴びた程度だった。気分は最悪。ホテルまで迎えに来てくれた赤井くんと李さんを前に、俺と浜下は深く深く頭を下げた。それはこれまで何度となく繰り返されてきた、朝の儀式でもあった。

 

「やっぱり、2軒目でも派手に飲んじゃったんですねえ。今日は長距離移動だからほどほどにしてくださいってあれほど言ったじゃないですか」

 

 赤井くんが、仕方ないなあという表情で僕らを見つめた。俺たちはそれに返事をする余裕すらなかった。すまないという気持ちを少しでも伝えようと、顔をあげて笑おうとしたが、かすかに右の眉が動いただけにすぎなかった。かわりに酸っぱいゲップが胃の奥からあがってきた。俺は眉間に苦いシワをよせた。

 

「とりあえず、後ろの座席でゆっくり休んでください。束草までは4時間くらいかかる予定です。それだけ眠ればいくらかは回復するでしょう」

 

 俺たちは牛歩戦術のようにジリジリと車まで移動し、生きるか死ぬかの大仕事というような気持ちでトランクに荷物を入れ、精魂尽き果てたというように後部座席へと倒れ込んだ。俺たちは車の出発を待たずに、気絶した。

 

 

 俺はパチンコ玉になった夢を見ていた。天釘のあたりに弾かれた俺は、あちこちの釘に身体をぶつけながら、次第に落下していく。右へ左へと大きくふられ、顔が、身体が、頭が、釘にぶつかるたびに激痛が走った。

 

 早く穴に入るなり、1番下まで落下するなりしないと俺の全身は砕け散ってしまいそうだった。早く、早く下まで落ちてくれ、と祈りながら、また大きな釘に俺はぶつかった。身体がガクンと揺れ、額のあたりをしたたかに打ちつけたようだった。

 

 そこで目が覚めた。車は山道を下っているようだった。すぐに急カーブが現れ、俺の身体は大きく右に振られた。俺の右半身はドアに押しつけられ、その反対側に浜下の身体がまとわりついてきた。やがてカーブを抜けてふっと身体が軽くなると、今度は大きく左に振られる番だった。俺はのしかかってきていた浜下をふっとばし、今度はやつのほうに寄りかかった。浜下は左のドアにどこかをぶつけたようで、「ウガッ」と苦しそうに叫んだ。

 

 身体を右に左に振られながら、フロントガラス越しにあたりの様子を眺めると、どうやらジグザグの山道を下っているようだった。すでに昼近くなっているようで、車の中には容赦のない直射日光が差し込んでいる。俺このジグザグ道を「直射日光いろは坂」と名付けようと思った。

 

「目が覚めましたか?」

 助手席から赤井くんが声をかけた。

 

「うん」

 と答えると、俺はえらく喉が渇いていることに気づいた。口の中がネバネバして嫌な感じだった。頭の痛みは朝よりはましというところだったが、胃のむかつきと全身のだるさは依然として変わらなかった。

 

「ちょうど太白山脈を越えているところです。このジグザグ道を下りきったら、そこがもう束草です。あと30分少々といったところですね」

 

 赤井くんの声は明るかった。俺はこのジグザグがあと30分も続くかと思うと、目の前が真っ暗になるような気分だった。

 

 

 束草は悪くない町だった。海辺独特の少しさびれた感じはあったものの、一応、市としての賑やかさがあり、当面の4日間暮らしていくのにも不便はなさそうだった。俺たちは市外バスターミナルのそばにあるラブホテル風の旅館に宿を取ることにした。

 

 1泊わずか3000円。普段ソウルで利用する3級ホテルよりもさらに格安だが、昨日のことを思い起こすまでもなく、俺たちには横になれるベッドがあるだけで充分のようだった。高級な宿は分不相応というものだ。

 

 ズキズキと痛む頭を抱えながら、遅い昼食をとると、俺たちにもいくらかの元気が戻ってきた。二日酔いにはチゲが有効だというが、確かに激辛の唐辛子汁はぐったりした胃にキックをぶちこむようで心地よかった。

 

 入った食堂のアジュンマ(おばちゃん)がすすめてくれたのは、この土地の名物だというハタハタのチゲだった。日本ではハタハタというと秋田が有名だが、韓国では束草がその地位にあるそうだ。

 

 ぐらぐらと煮え立ったチゲを胃の中におさめて一息ついた我々は、まず情報収集の第一歩として、この食堂のアジュンマに軽く話を聞いてみることにした。ノロジカ獲り名人が住むところは、ここからさらに2時間もいった山の中だそうだが、麓の町である以上、なんらかの手がかりが得られるだろうと思われた。

 

「まず、ハタハタのチゲが非常においしかったと伝えてください」

 

 浜下が赤井くんに通訳を頼み、それと同時に精一杯の微笑みを浮かべてみせた。言葉が通じないときは、なによりもまず笑顔が重要であるということを、彼は何度かの海外取材で学んでいたのである。その笑顔の横で、赤井くんが浜下の言葉を流暢に訳す。食堂のアジュンマはそのセリフを聞きながら、ちらっと浜下に目をやると、嬉しそうに笑った。

 

「喜んでいます。おいしかったならもっとあげようかと聞いています」

 アジュンマのセリフを赤井くんが通訳する。

 

「いやあ、昨日飲み過ぎて二日酔いなんですよ。これ以上はとっても無理です」

 浜下はすりすりと右手で腹を丸くさすった。

 

「あ、そうだ。ハタハタもすごくおいしかったんですが、このあたりはノロジカの尻肉というのもうまいと聞きました。ノロジカの尻肉はどこに行けば食べられるんですかね」

 

 浜下が、今思いついたというように尋ねる。

 

 赤井くんがそれを通訳し始めたが、今度はどうもうまく話が伝わらないようで、なかなか俺たちのほうに返事が戻ってこない。赤井くんとアジュンマの間で何度かのやり取りが繰り返され、途中で李さんも話に加わったが、どうも要領を得ないようであった。

 

 俺と浜下はどうしてよいのかわからず、仕方なしに曖昧な笑顔をつくり、なんにもわからないまま、とりあえずタイミングをはかり、会話の端々でうんうんと頷いてみせた。

 

「どうも、話が噛み合いませんねえ……」

 赤井くんが俺たちの方へと向き直って言う。

 

 その横で李さんとアジュンマはまだ会話を続けている。

 

「あのおばちゃんの話を総合すると、この束草では特にノロジカが有名だとかそういうことはないようです。ノロジカのことを質問しても、あまり相手にしてくれないので詳しいところまではわからないのですが……」

 

「相手にしてくれない?」

 俺が口をはさんだ。

 

「ええ。基本的に韓国のおばちゃんというのは人の話を聞かないものなんですが、このおばちゃんは特にその傾向が強いみたいなんです。ノロジカよりも束草のうまいものを食えって、別のものを薦めてくれるんですよ。束草はスルメイカが有名だから、それを食えとか……。おいしいものが食べたいんじゃなくて、ノロジカの情報が欲しいんだっていっても、それを理解してくれません」

 

 赤井くんが、やれやれという表情で言った。

 

 結局、李さんも交えて、ずいぶん長い時間を会話に費やすことになった。赤井くんは粘り強く会話を続け、アジュンマのスルメイカ食え食え攻撃をかいくぐりながら、なんとかノロジカ情報を引き出していった。

 

 結論から言うと、このアジュンマはノロジカについてほとんど何も知らなかった。食べたこともなければ、食べたという人の話も聞いたことがないとのことだった。特にこの束草が有名だという話も知らないし、またこのあたりに専門店が存在するという話も聞いたことがないとのことである。アジュンマの話は、ここで本当にノロジカが食べられるのかと、疑いたくなるほどのものであった。

 

 そして驚くべきことに。俺たちは食堂を後にして、本格的に聞き込み調査を始めたにも関わらず、有効なノロジカ情報にはまったく出会えなかったのである。

 

 

(4)に続く

 

20070403

 

 

 

戻る