コリ梅

170-ノロジカの尻っぺたを追え!(2)

 

 

 仁川空港に降り立った俺と浜下を迎えたのは、赤井くんとその彼女の李さんだった。これまで李さんとは、仕事が終わったあとに食事をするくらいだったが、今回はソウルを離れて地方まで足を伸ばすため運転手役をお願いしたのだ。

 

「お疲れさまでした。宜しくお願いします」

 赤井くんが笑顔で我々を迎え、その横で李さんが軽く頭を下げた。

 

「いやあ、またお世話になることになりました。宜しくお願いします」

 浜下はホテルのボーイがやるようにビシッと頭をさげた。俺もならって頭を下げる。はるか年下の赤井くんはそれを見ると、

 

「やだなあ。やめてくださいよ。ほんとに」

 と頭をかいた。もう我々との取材も6回目であり、雰囲気は打ち解けたものである。俺と浜下の芝居がかった行動にも慣れっこだ。

 

「おおっ、李さん。相変わらずお美しいですねえ。いや、前よりも美しさに磨きがかかったようですぞ」

 

 浜下は李さんのほうを向いて大げさに驚いてみせ、両腕を横に大きく広げた。李さんは笑顔のまま少し頭をさげると、すぐ横の赤井くんを上目遣いに見た。すかさず赤井くんが浜下のセリフを韓国語に翻訳する。それを聞いた李さんは瞬間的に口のあたりを両手で隠し、右手を違う違うと振りながら、ケラケラと笑った。

 

 台本通りの挨拶を終えた俺たちは、李さんの運転する車で、今日の宿であるホテルへと向かう。ソウル市内は漢江という大河で北と南に分かたれており、川より北を江北、川より南を江南と呼ぶ。

 

 江北に比べ、江南のほうがやや高級なイメージがあり、俺たちの泊まるホテルはなんと江南の特級ホテルであった。いつもの取材であれば江北にある1泊30000ウォン程度の安旅館に宿泊するのだが、今回は地方取材で予算が切り詰められそうだということもあり、初日と最終日の宿を奮発したのである。

 

 ホテルにチェックインし、荷物をおろした後、俺たちは1階のカフェに集まった。明日からの取材に関する詳細な打ち合わせと、それに加えて、幻の肉とやらの基礎的な勉強をするという意味もあった。俺と赤井くん、李さんの前にコーヒーが置かれ、浜下の前には黄色い液体の入った背の高いグラスがひとつ置かれた。

 

「なんだい、そいつは」

 俺が尋ねると、浜下は口の端っこでニヤリと笑った。

 

「ふふふ。アイスユジャチャですよ。柚子のジュースです」

 

 ユジャチャというのは聞いたことがある。漢字では柚子茶と書き、柚子のマーマレードのようなものをお湯に溶かしたような飲物だ。どうやら浜下が頼んだのはそれを冷たくしたものらしい。浜下は嬉しそうにずずっと音と立てながら、ストローを舐めまわすかのようにいやらしくアイスユジャチャをすすった。

 

「ええと、まず今回の日程に関してなんですが……」

 カバンからクリアーファイルを取り出しつつ、赤井くんが口を開いた。

 

「場所がですね。非常に不便なところということで、いったん江原道の束草(ソクチョ)という町まで出て、そこにベースキャンプのようなものを張ろうと思います。明日は束草まで行って宿を取り、情報をある程度収集した上で、翌明後日、ノロジカ獲りの名人を訪ねたいと考えています。ノロジカ獲り名人の住むところが非常に山奥になりまして、ひょっとすると近くに宿泊施設がない可能性もあります。その場合のことを考えて、ベースキャンプとの行ったり来たりも覚悟しなければなりません」

 

「ふむ……」

 面白くなりそうだな、と俺は瞬間的に思った。

 

「そのベースキャンプになる町というのはどんなところなの?」

 浜下がストローでグラスの中の氷をくるくるまわしながら尋ねた。

 

「束草は東海岸に面した韓国最北の市です。海と山に挟まれた土地で、海岸からいくらも離れていないところに、海岸線と併走する形で巨大な山脈がそびえています。この山脈を太白山脈といいまして、今回目指すノロジカの住む森はこの山脈の中にあります」

 

「なるほどなあ。今回の予定は1週間しかないんだけど、その短い期間できちんと取材ができるのかな」

 俺が言った。

 

「中5日ありますから、おそらく大丈夫だと思いますが、今回はとにかく情報が少なくて、正直なところ行ってみなければよくわからないというのもあります。確かにノロジカ獲りの名人という人はいるようなのですが、束草の市役所などに尋ねてみてもどうもはっきりした答えが返ってこないんですよ」

 

「その名人の居場所というのはわかっているの?」

 

「ええ、それは教えてもらいました。間に紹介してくれる人がいて、きちんとアポイントは取れました。ただその方の住んでいるところには電話がないらしいんですよね。連絡方法は手紙しかないので、今から話を聞くというわけにもいきません」

 

「ふむ……」

 少し間を取り、俺と赤井くんは交互にコーヒーを1口ずつ飲んだ。

 

「とりあえず明日その、なんだ……。束草とかいう町に向かって、明後日そのノロジカ獲り名人を訪ねると。それで束草と名人のところを行ったり来たりしながら、3日目、4日目、5日目、6日目と取材をしていくわけだな」

 

「ええ、正味4日という訳ですね。しかもその最終日はこのホテルを予約していますので、ソウルに戻って来なければなりません」

 

「うん、でもまあ。取材の関係上、どうしてもというのであれば、7日目に戻ってきてそのまま飛行機に乗って帰ればいいさ」

 

「そうですね」

 赤井くんはうんうんと頷いてみせた。

 

「あのさ、ノロジカの尻肉についての情報はどうなっているの」

 いつの間にかアイスユジャチャを飲み干した浜下が言った。ストローでグラスの中の氷をカシカシとつついている。

 

「これがまた情報が乏しいんですよね……」

 赤井くんは手に持っていたクリアーファイルをパラパラとめくった。

 

「まずノロジカですが、一般的に食べるという話はあまり聞きません。僕のまわりにいる韓国人にもあたってみたのですが、食べたことがあるという人はいませんでした。本やインターネットには食用の話が出てくるので、食べることは食べますが、ずいぶんと高価で一般の人の口には入るものではないようです。どちらかというと犬肉料理やヤギ肉料理と同じく、滋養強壮のための料理というイメージが強いみたいですね。病弱な人の体力回復や、神経痛、糖尿病に効果があるという話も紹介されていました。ただ、いわゆる漢方薬のような薬っぽいイメージではなく、肉質は柔らかく、味もよいとのことです」

 

「なるほど……」

 俺と浜下はアゴのあたりに手をあて、考え込むポーズをしてみせた。

 

「食用として普通に流通していない分だけ高価というだけで、言ってみれば、日本で鹿肉を食べるイメージは似ていると思います。日本の鹿も、そのへんのスーパーや市場には売られていませんが、食べられるところへ行けば食べられますよね。またヨーロッパではノロジカのローストなども食べられているようなので、ゲテモノの類というわけでもありません」

 

「尻肉についてはどうなの?」

 俺が言った。

 

「特に尻肉について言及した資料は見当たりませんでした」

「行ってみなけりゃわからないってこったな」

 俺は一息ついて、ソファの背もたれに身体を預けた。

 

「面白いじゃないですか。とりあえず確実に会えるのは間違いないんでしょ。どんな代物が出てくるかはわかりませんが、ますます幻の肉らしくなってきましたよ」

 浜下はそう言うと、口の端でニヤリと笑った。

 

(3)に続く

 

20070317

 

 

 

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