コリ梅

119-慶州南山カルグクス伝説(4)

 

 

「少しここで待つぞ」

 老人はそういうと、その場にゆっくりと腰を下ろした。2時間半たっぷりと歩かされた僕は、もう体力の限界に近かった。僕は老人にならって腰を下ろし、持っていたミネラルウォーターをごくりと飲んだ。

 

 しばらく待っていると1組の男女がガサガサと降りてきた。歳は40代にさしかかったくらいだろうか。見た感じは夫婦のようであった。

 

「おや先生。ここでお待ちでしたか」

「うむ。客人を連れているのでな。誰か協力者が現れんかと待っておった」

「そうですか。あの方のことですね」

「日本からカルグクスをわざわざ食べに来たそうだ」

 僕は突然自分の話題になったので、慌てて立ちあがっておじぎをした。

 

「そうすると、手ぬぐいか何かが必要になりますね」

「うむ」

 夫婦は僕のおじぎを無視し、そのまま老人と会話を続けた。老人たちは僕を無視しながらも、どうやら僕についての話を交わしているようだった。僕は反応のなさにも苦笑いを浮かべるしかなく、またどこか不穏さを感じさせる空気にやや緊張していた。

 

「では、店のほうに案内を致しますが、その店は一般の方々に場所を知られてはまずいところにあります」

 

 男が僕のほうに近づいてきて、妙に丁寧な口調で言った。

「はあ……」

「そこであなたをお連れするにあたって、ひとつだけ非礼をお許し頂きたい」

「……」

「ここからは我々がご案内を致しますので、このタオルで目隠しをしてください」

 その言葉とともに女が1枚の白いタオルを差し出した。

 

 男の言葉と、女の行動には逆らい難い雰囲気があった。僕はチラっと老人のほうを見たが、老人は絶壁からの景色を眺めており、僕のところからは表情はうかがえなかった。僕は少し悩んだが、この自分がどこにいるのかもわからないような状況では、男たちの言葉に従うよりほかないようだった。

 僕がタオルで目隠しをすると、男が右に、女が左にぴたっと寄り添った。

 

「じゃあ、行くとするか」

 老人が一声かけると同時に、男と女は僕を誘導し始めた。足取りはゆっくりであったが、歩みは力強く僕は引きずられるようにして歩いた。道の険しい場所では男から指示が出ることもあった。細い木の根をつかんだり、座り込むようにして段差を降りたりしながら、ともかくも僕はどこかに案内されているようだった。

 

 目隠しをされてから10分も過ぎたころだろうか。

 

「ここでちょっと手を離しますが、その場にしっかり立っていて下さい」

 

 男が言った。ちょうどそれなりに足場のしっかりしたところだった。今まで抱きかかえられるようにして連れてこられたため、目の見えない状態で1人にさせられるといかにも不安ではあったが、今の僕にはどうすることもできなかった。

 

「大丈夫。心配する必要はない」

 老人が僕に一声かけた。

 

「じゃあ、行きます」

 という男の声とともに、僕は背中をドンと押された。驚いた僕は、倒れるまいと足を前に突っ張った。だが、僕の伸ばした足の先には何もなかった。僕の身体は何もない中空へと飛び出し、そのまま落下していった。

 

「突き落とされた」

 

 そう気付いた僕は瞬間的にパニックになった。ジェットコースターが急降下していくような嫌な感覚。内臓の縮みあがり。全身のすべてがどこにも接地していない不安感。僕はなにかをつかもうと両手でばたばたともがいたが、手にふれるものは何もなかった。声は出ない。暗闇で薄れていく意識の中、僕はここで死ぬのだと思った。

殺された。

死ぬのだ。

僕は落ちていった。

 

 

 

 僕が意識を取り戻したとき、3つの顔が僕を見下ろしていた。老人と男と女。その状況を僕は瞬時に理解することはできなかった。

「大丈夫かの」

 老人が言った。

「大丈夫なようですね」

 女が言った。僕はまだ自分の置かれた状況をわかっていなかった。

「とりあえず、水を飲んでください」

 男がペットボトルに入ったミネラルウォーターを差し出した。僕は男に支えられて半身を起こし、ぼんやりとした思考のまま、言われたとおりに水を飲んだ。

 

「げほっ、げほげほ……」

 一瞬のどが詰まったようになり、僕はむせこんだ。男に背中を叩かれながら、僕は段々と自分の身に起こった状況を少しずつ理解し始めた。

 僕はもう一口水を飲み、大きく息を吐いた。

「落ち着いたかの」

 老人が僕に言った。

「え、ええ。なんとか……」

 僕は搾り出すような声でいった。

 

「驚かせてしまって申し訳ありません。初めての方がみえたときは、ああすることに決まっているのです」

 男が申し訳なさそうな声で言った。

「僕……落ちましたよね」

 僕は少しずつ自分に起こったことを思い出していた。僕は目隠しをされたまま、背中をドンとつかれて突き落とされたはずだった。

「ええ」

 男はそう言って頷いた。

 

「あそこを見るがいい」

 老人は上のほうを指さした。切り立った崖のはるか上のほうに、ちょこんと舌を出したような突端が見えた。

「僕、あそこから落ちたんですか?」

「そうだ」

 高さにして10メートルはあるだろうか。普通だったらとてもではないが、無事でいられる高さではない。

 

「このルートでなければ店に行くことができないのです」

 男が言った。そうだった。僕はうまいカルグクスを食べにいくのだった。

「見てください。あそこがあなたの落下したところです」

 男は続けた。男の指差した先には、落ち葉が大量に積まれていた。それこそ落ち葉だけでざっと2メートルは積まれているようだった。

 

「あの落ち葉はきちんと計算されて、あそこに置かれているのです。崖の上から飛び降りても大丈夫な緩衝力を備えています」

「飛び降りても……?」

「ええ、わたしたちもあそこから飛び降りて来ました。上からだと死角になるので、初めての人にはなかなか信じてもらえません。恐怖感もありますし、どうしてもああいうやり方を取らざるをえないのです。黙って突き落として申し訳ありませんでした」

「……」

「少しは落ち着いてきただろう。そろそろ行くとしよう」

 老人が言った。

 

 僕は自分の身にまだ何が起こっているのかよく理解できないまま、少しふらふらする身体を起こし、3人の後についていった。

 

(5)に続く

 

20050201

 

 

 

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