コリ梅

118-慶州南山カルグクス伝説(3)

 

 

「はい、待たせたね」

店のおばちゃんが、大きなおぼんを持ってやって来た。キムチやナムルなどの皿が並べられ、ごはんとミヨックク(ワカメスープ)がついていた。

「じゃあ、わしはこのへんで」

それを機に老人はすっと立ちあがった。

 

「え、あ、ちょっと待ってくださいよ。この程度ってどういうことですか?」

こんな含みを持たせた言葉をそのままにしてはおけない。横をすり抜けてそのまま店を出ていった老人を、僕は慌てて追いかけた。

 

「待ってください。あの店のカルグクスがおいしくないということですか?」

老人の横を歩きながら、僕は尋ねた。

「おいしくないというわけではないさ。それなりの水準には達しているだろう」

「でも、それなりであって、もっとおいしいカルグクスがあるということですね」

「カルグクスはもっともっとうまいものだ」

「そのもっともっとうまい店というのをご存知なんですか?」

老人がぴたっと歩みを止めた。

「そうだ」

老人の視線はまっすぐこちらを見つめていた。

「ぜひ教えてください。もっとおいしい店があるのがわかっていて、それなりの店を紹介することはできません」

「三陵」

「三陵?」

「明日の朝、三陵まで来い」

「……」

 

老人はそれだけいうと、そのまま去っていった。僕はその雰囲気に気おされ、それ以上老人を追いかけることはできなかった。三陵とは南山のふもとにある古墳のことである。まだ行ったことはなかったが、その名の通り3つの古墳が並んでいるところのはずだった。三陵まで行くとうまい店があるのだろうか。僕は店に戻って、おばちゃんの好意であるミヨッククを食べながら悩んだ。カルグクスのダシをそのまま流用したらしいミヨッククの味は素晴らしく、この店よりもうまいというカルグクスの店が、余計気になって仕方がなかった。

 

 

翌朝。僕は5時に起きて三陵へと向かった。三陵に行くためには、慶州のバスターミナルからバスに乗って20分ほどの距離を行かねばならない。老人からは朝としかいわれていなかったが、老人のいう朝とすればかなりの早朝であることが予想された。カルグクスは消化によく温かい麺類なので、もしかすると朝食としてしか出していないカルグクス専門店というのがあるかもしれなかった。ともかくも僕はめったにない早起きをし、三陵へと急いだ。

 

三陵に到着したのは6時半を回ったあたりだった。朝のきりりとした寒さの中、僕はバス停から南山の登山道へと足を踏み入れる。南山のふもとにある三陵は、登山道に分け入ってすぐのところにあり、緑の芝に覆われたやや小さめの古墳が3基直列に並んでいた。僕は柵で囲まれた3基の古墳をぐるりと回ってみたが、そこに老人の姿はなかった。仕方ないので、僕はすぐそばにあるベンチに腰かけ、老人が来るのを待った。

 

南山には数々の石仏や庵があり、そこにお参りにいくのだろう。早朝だというのに、この三陵を訪れる人は多かった。ちょうどジョギングに出かけるような格好で、みんなこの南山をのぼっている。僕は早足でほいほいとのぼっていく人たちをぼんやり眺めながら、ただひたすらじっと老人を待った。老人がやってきたのは8時を過ぎた頃だった。

 

「ほっほっほ。ずいぶん早いの」

「朝とおっしゃったので、遅れてはならないと思いまして……」

「何時に来たんだい?」

6時半を回ったころです」

「ほっほっほ。そうかい遅れてすまなかったな」

「いえ、とんでもないです」

老人はそれだけいうと、登山道をすたすたと歩きはじめた。昨日も思ったが、年齢にしてはかなりしっかりした足取りである。

 

「三陵は誰の墓だか知っているかい?」

「いえ……」

「新羅の第8代王にあたる阿達羅王、第53代の神徳王、第54代の景明王の墓だ。時代を大きくまたいでおるが、神徳王は阿達羅王の遠孫にあたり、景明王は神徳王の息子になる。新羅もいろいろ王家の血筋が複雑でな。一族の墓が並べて作られたということじゃ」

「なるほど……」

 

しばらく歩いていくとすぐに首と手のない仏像にぶつかった。その後も山道を行けば行くほど、数多くの仏像が現れ、そこでも老人は博識ぶりを見せ、新羅の歴史を織り交ぜながら仏像について語ってくれた。僕が見るに、老人はことのほかご機嫌のようで、この南山登山を楽しんでいるようであった。

 

確かに南山は普通の山と違い、数多くの仏像を訪ねる聖地巡礼を行うような山である。僕にとっても物珍しくはあったが、そもそもの目的はうまいカルグクスを食べることである。この山の中にそんな名店が潜んでいるとも考えにくく、僕は歩いていくにつれて疑問がふつふつと湧きあがってきた。

 

「おじいさん、うまいカルグクスの店はどうなったんでしょうか。こんな山道を通ってでないと行けないところなのですか?」

「ほっほっほ。もうすぐわかる。心配するな」

 

何度か質問をかえて尋ねてみたが、そのたびごとに上手にはぐらかされてしまった。山道が険しくなるにつれて、僕の息はだんだんあがりしんどくなってきた。老人は慣れているのか平気な顔でほいほいとのぼっていくが、僕にはついていくのが精一杯だった。段々僕には、この先、本当にうまいカルグクスが待ちうけているのかさえも疑わしく思えてきた。

 

2時間も歩きつづけた頃だろうか。山道は尾根に出て少し歩きやすくなっていた。道が細いうえに風が強く、気を抜くと吹き飛ばされそうでもあったが、僕にとっては急なのぼり坂でないだけでもありがたかった。

 

「ここを降りよう」

と老人が指差したのは、けもの道ですらない木と木の間だった。老人は尾根から草木の生い茂った斜面に分け入り、落ちたらただではすまないような崖ぎわの道を、山肌を這うようにそろそろと慎重に降りていく。

 

そんな急な崖くだりが20分も続いただろうか。僕は段々と不安になってきた。この老人についていって本当に大丈夫なのだろうか。事故の危険性もある上、こんなところで老人とはぐれたら無事に帰れたものではない。カルグクスを食べに行くだけと思って、たいした装備も持ち合わせていない。水だって500ミリのペットボトルを1本しか持っていないのだ。

 

この老人に騙されているのだとしたら。あるいは元気そうに見えても、すでにボケが始まっている徘徊老人なのかもしれない。なにかよからぬ犯罪に巻き込まれているのではないだろうか。僕の頭の中にはありとあらゆる悪い予感がうずまいていた。このままこの老人についていっても大丈夫なのだろうか。僕はその不安をいつ口にするか、迷い始めた。

 

「よし、ここだ」

木々に囲まれた崖をずいぶん下ってきて、突然視界の開けた少しの平地に出たとき、老人は弾む声でそういった。目の前は断崖絶壁であった。ちょうどタタミにして10畳ほどのスペースは3方が崖になっており、山肌の中で突端のように突き出た場所のようであった。眺めは確かに素晴らしく、はるかかなたに慶州の広々とした平野が一望できた。またこんな場所にどうやって作ったのか、ひとつの石塔が立てられていた。

 

「こんな場所に石塔があるんですね」

「うむ、かつてはここに有名な寺があったのだ。その石塔はその頃に作られたもので、国の宝物にも指定されている大変に貴重なものだ」

「宝物……」

 

そのセリフは僕を少し安心させた。少なくとも、国に指定された宝物があるということは、ここが正式な登山ルートから離れた場所ではないということ。山奥には違いないが、誰も訪れない場所というわけではない。その証拠に、石塔のそばには訪れる人のために立てられたのであろう、文化財説明用の看板がひとつ風に揺られていた。

 

(4)に続く

 

20050115

 

 

 

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