コリ梅

117-慶州南山カルグクス伝説(2)

 

 

僕が7時ちょっと前に到着すると、昼間相席になった老人がなんとまったく同じ席に座っていた。

 

「あれ、またカルグクスを食べに来たんですか?」

 驚いた僕は店の人に挨拶をするのも忘れてそう尋ねた。老人は昼間見たときのように優しい目でニコニコと笑っているだけだったが、かわりに作業台の前にいた店のおばちゃんが答えた。

 

「日本からわざわざカルグクスの取材に来たあんたが珍しいみたいだよ。どんなことを取材していくのか見たくて待っていたのさ」

 店のおばちゃんはすでに仕込みの作業を始めているようだった。

 

「ああ、そうだったんですか」

「ほっほ。わたしのことは気にしないでよい。かまわず取材をしなさい」

 老人は楽しそうにそういった。

「はあ……」

 なにやら不思議な気持ちだったが、すでに仕込みの作業が始められている以上、ぐずぐずしているヒマはなかった。僕はすぐにカメラの準備をし、作業台で仕込みをしているおばちゃんの横にはりついた。

 

「その粉は小麦粉ですか?」

 幸いにも作業はまだ始まったばかりのようだった。大きなたらいのような容器の中にたっぷりと入れられた粉を、ゴム手袋をしたおばちゃんが丹念にかき混ぜていた。

「小麦粉にね。大豆粉を混ぜているんだよ」

「大豆粉?」

 大豆を粉にしたものといえばきな粉のようなものだ。なるほど、カルグクスはうどんのように小麦粉だけで作るのではなく豆の粉も混ぜているのか。僕は写真を撮るとともに、忙しくメモ帳にペンを走らせた。

 

 2種類の粉がほどよく混ざったところで、おばちゃんは大きなひしゃくでバケツの水を注ぎ始めた。これで水分を加え、生地にしていくということだろう。たらいに入った粉の量がもともと多いので、ひしゃくの水もだばだばと豪快に入れられる。

 

「水……ですよね」

「いや、塩水だよ」

「あ、塩水……」

 

 なるほど。塩を混ぜて塩気を与えるのではなく、溶かした状態で加えるのだ。作業そのものは一見乱雑に見えるが、その実態はなかなかに繊細である。

 おばちゃんは粉をざっくりとかき混ぜながら、何度かに分けてひしゃくの塩水を足していった。塩水を足すたびに、さらさらだった粉は、いくつかのボソボソした塊になり、やがてひとつの滑らかな塊になった。

 

 大きな白い塊をぎゅっぎゅっとこね、ほどよい固さになったところで、おばちゃんは小さい塊に分け始めた。ちょうどひとつがラグビーボールくらい。聞くとその塊ひとつがちょうど8人前くらいになるとのことだった。

 

「それでできあがりですか?」

「いやいや、小さい塊にしてから本格的にねるのさ」

 おばちゃんはそういうと、ラグビーボールをこねたりのばしたり、体重をかけながら念入りにねっていった。

 ひとつひとつの塊をよくねっていく作業は根気がいるものだった。長い時間をかけて、ねられた生地の塊は全部で15個にもなった。

 

「ひとつが8人分とすると120人分のカルグクスができますね」

「そんなもんだね。忙しい日は200人分くらい出るけど、とりあえず明日はこんなもんでいいだろう」

「これで仕込み作業はおしまいですか?」

「そう、おしまい。あとはこの生地を一晩寝かせればいいのさ」

「明日まで寝かせるんですね」

「そう。人も麺も一緒。ゆっくり寝て休むからこそ、翌日いい仕事ができるんだ。そうだろう。がははは」

 おばちゃんはゴム手袋を外しながら愉快そうに笑った。

 

「兄さん、夕飯は食べたのかい?」

 おばちゃんが尋ねた。

「あ、いや。大丈夫です」

「大丈夫ってなんだい。食べたのかい、食べてないのかい」

「いや、食べてはいないのですが……」

「なら、ちょっと待ってな。何か用意してあげるから」

「あ、えと。す、すいません……」

 

 僕が大丈夫と答えたのは、こういう展開になるのを恐れたからであった。確かに夕食はまだ食べていなかったが、この後、また別の店の下見に出かけるつもりだった。慶州駅のすぐ近くにうまいチュオタン(ドジョウ汁)を食わせる店があると聞いたのでそこに行こうと考えていたのだが、おばちゃんはすでに厨房に入ってなにやら作り始めてしまったようだった。僕は断るのをあきらめ、今日のところはここで夕食を御馳走になっていくことにした。

 

 と、そこで僕は視線に気付いた。テーブルに座っていた老人が、こちらを見て笑っているのだった。どうやら僕が写真を撮ったり、質問をしてメモを取ったりする一連の作業を興味深く見ていたようだ。僕はそれに気付いて少し恥ずかしくなり、老人のほうを見て照れ隠しに小さく笑った。

 

「まあ、こちらに来て座りなさい」

 僕は老人にうながされるまま、老人の前の席に座った。

「取材風景がめずらしかったんですか?」

 僕はカメラやメモ帳のたぐいをカバンにしまいながら老人に尋ねた。

 

「いやいや、面白かったさ。日本人がどんなことに興味をもつのかとかな。日本にも似たような麺類がたくさんあるだろう」

「ええ、よく似ているようでも細かな違いがたくさんありました。小麦粉だけでなく、大豆の粉を入れるというあたりは驚きでしたね」

「ほっほっほ。そうかいそうかい」

 老人は愉快そうに目を細めて笑った。

 

 僕はここでひとつのことを思いついた。そうだ、店の常連であるこの老人にインタビューをするというのも悪くない。毎日この店で食事をしているのだから、この店のカルグクスにもそれなりの思い入れがあるに違いない。店の人からでは聞けないような裏事情も聞けるかもしれないではないか。

 

「おじいさんは毎日ここでカルグクスを食べているんですよね」

「ああ、そうだよ」

「ここに毎日来るというのはやはりここの味にひかれてですか?」

「まあ、慶州にある他の店よりはましなほうだな」

「なるほど。他の店に比べて1番違うのはどこですか?」

「そうさな。バランスがいいということだろうな」

「バランス……」

 

 僕はカバンの中にしまったメモ帳をもう1度取り出すべきか迷った。貴重な話ではあるが、インタビューのように改まって問いかけると、かえって緊張されるかもしれない。このまま雑談風に尋ねていったほうがいいだろうと思いなおした。

 

「麺とスープのバランスということでしょうか?」

「まあ、それもあるが……。おかしな欠点が少ないということだな」

「おかしな欠点……ですか?」

「うむ。麺の舌触りが悪かったり、スープがへんに魚臭かったりとかな」

「なるほど。この店を日本で紹介しようと思っているのですが、カルグクスは日本人にも人気が出る料理だと思いますか?」

「まあ、人気はでるだろうが……」

「でるだろうが?」

「ここのカルグクスを食べて、韓国のカルグクスがこの程度だと思われては心外だな」

「え……?」

 老人の表情は穏やかだったが、もう目は笑っていなかった。

 

(3)に続く

 

20050101

 

 

 

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