コリ梅

116-慶州南山カルグクス伝説(1)

 

 

「カルグクス、お好きなんですか?」

 僕は正面に座った老人に声をかけた。

 

 麺をずるずるとすすっていた老人は、突然の呼びかけに少し驚いたようだったが、すぐに年輪の刻まれた顔をくしゃっとゆがめ、優しい目で笑った。

 

 老人は本当にうまそうにカルグクスを食べていた。2本の箸が踊るように操られ、まるで麺のほうから口に吸い込まれていくようであった。ずずっ、ずずっという音も、決して下品ではなく、むしろ見ていて心地よい印象すらあった。僕はこの老人と相席になったことを幸運だったと思った。

 

「ああ、好きだな。毎日食べとるよ」

僕の問いに短く答えた老人は、ふたたびカルグクスをすすり始めた。白濁したスープから平たい麺がテンポよく吸い上げられていく。ときおりジャガイモやエホバク(カボチャの未熟果)といった具をつまみ、スープの味を確かめては、また麺をすする。見ているだけで自分も食べている同じカルグクスが、より一層うまくなった気がした。

 

 カルグクスとは韓国で日常的に食べられている麺料理のひとつ。小麦粉で作った生地を包丁で切って麺にし、鶏肉やアサリ、煮干などで取ったあっさりスープで茹でて作る。日本のうどんによく似ているがスープで茹でるといったあたりが特徴的だ。麺はやや幅広で、ぴらぴらとした舌触り。味付けは塩と醤油で薄く仕立て、ニンニクや粉唐辛子を混ぜ込んだタデギという合わせ調味料で最終的な調整する。

 普通の食堂であれば13000ウォン前後。専門店の豪華なものを食べたとしてもせいぜい5000ウォン程度だろう。いわゆる庶民の食事である。

 

慶州名物の手打ちカルグクス

(写真提供:一番星☆様)

「じゃあな、学生」

 僕よりも遅く食べ始めたはずの老人は、あっという間にカルグクスをたいらげ、律儀にも一声かけて出ていった。料金を支払わず、店員に目で挨拶しただけで出ていったところをみると、老人は本当にこの店の常連なのであろう。ツケになっているのか、あるいは料金を免除されているのかまではわからないが、少なくともこの店にとっては特別の客といった風であった。

 

 

「なるほど。やっぱりここしかないな」

 僕は自分の器に残った半分ほどのカルグクスを急いでかきこみ、カルグクスの勘定をすると同時に、名刺を差し出して取材の申し込みをした。

 

僕が慶州までやってきたのは、とあるガイド本の取材が目的であった。慶州はかつて新羅の王都として栄えた町。古墳や貴重な文化財がそこらじゅうにあることから、屋根のない博物館とも呼ばれている。日本で言う奈良や京都のような町で、観光にはもってこいなのだが、ひとつだけなんとも残念な欠点があった。慶州は食に魅力がないのである。

 

韓国旅行といえば、誰しもがうまい食事を期待する。本場の焼肉をはじめ、ジリジリとオコゲができる石焼きビビンバ、喉越し爽やかな冷麺など、うまいものがたっぷりあるというのが韓国の大きな魅力だ。首都ソウルに行けばあちこちに有名レストランがあり、韓国第2の都市である釜山は海産物が豊富だ。韓国ではどこにいってもハイレベルなうまいものを食べられるのだが、残念なことにここ慶州だけはこれといった名物がない。

 

一応、葉野菜でごはんを包んで食べるサムパプなど、いくつかの名物があるにはあるのだが、それでも最も有名なのは皇南パンと呼ばれる饅頭なのだ。お菓子がこの地域を代表する名物料理だということを悪くいうわけではないが、美食三昧の韓国において、慶州はぽっかりとあいた美食のブラックホールなのである。

 

編集部が僕に出した指令は「慶州でとにかくうまいものを探して来い」であった。特にその地域を代表する名物でなくてもよい。韓国中にあるようなありふれた料理でもいいから、とにかく食べてうまいものを見つけろということだ。そうすればもともと観光地として魅力のある慶州である。より一層の人気を得ることができるだろう。その先陣を切るのが我々のガイド本なのだ、という理屈だった。

 

2週間前に慶州入りした僕は、今日まで慶州市内にある有名無名の食堂をかたっぱしから回っていた。既存のガイドブックに載っている店から、インターネットで名店として紹介されている店、はたまた泊まった旅館や市場などであそこはおいしいと紹介された店など、とにかく評判のある店はすべて回ったのである。

そしてその2週間にわたるウロウロの成果が、慶州の名物料理のひとつであるサムパプの専門店と、カレー味が強烈な新しい味わいのタッカルビ専門店、そして老人と相席になったカルグクスの店の3店なのであった。

 

カルグクスの店も都合4店回ったが、そこまでうまいと思える店は少なかった。確かに慶州はカルグクスが有名な土地だけあって、町の至るところに「手打ちカルグクス」の看板が掲げられている。だが、この「手打ち」というのも韓国的でおおらかな雰囲気からつけられたものが多く、どうみても機械打ちの手打ちという店も少なくなかった。それだけに市場の中にある、この本当の手打ちの店に出会ったときは嬉しかった。

 

なにしろこの店は厨房が客席からすぐにのぞけるような作りになっており、それも煮炊きをする場所だけやっと目隠しがしてある程度のもので、粉をこねたり、生地を切ったりするのは、入口そばの完全なオープンスペースなのであった。この店では注文が入ると、店のおばちゃんがツカツカと入口そばの作業台に向かい、注文分だけの麺をささっと作るのである。もちろん生地は前日のうちに作ってあるので、作るといっても生地を平たくのばして包丁で切るだけ。粉をぱたぱたっとはたいたら、また厨房に戻ってその麺を茹でるのだ。

 

この注文後の一連の流れは僕をいたく感動させた。まるで、注文が入ってから皮を作り始める、ガンコな餃子専門店のようではないか。麺を作りおきしないという鮮度の魅力もさることながら、客席から麺を打つというパフォーマンスが見られるというのは、観光客にとってたまらない喜びになるだろう。

 

カルグクスの味も期待をまったく裏切らないものだった。スープの味はあっさりとしていながらも、しっかりと麺を受けとめるだけの旨味を備えている。質の高いスープに、できたての麺。これでまずかろうはずがない。

 

僕の感動をさらに盛りたてたのが、相席になった老人の食べっぷりである。70代、いや下手をしたら80過ぎにも見える真っ白なヒゲの老人は、実に見事な勢いでカルグクスをすすり始めた。それは粋に蕎麦をたぐる江戸っ子のような印象。心底その料理をうまいと信じる、潔い食べっぷりだった。

僕が取材する店はやはりここしかなかった。

 

 取材の申し込みに対し、店では責任者が出て来たりとちょっとした混乱があったが、僕が日本人であることや、日本のガイド本に掲載するという目的などを一通り話すと、物珍しさも手伝ってすぐにOKが出た。

 

「やあだ、それじゃもっといいカッコしてこなきゃ」

「あんた、どんないいカッコしたって変んないよ」

「それでもあたしの顔が日本まで行くんだから」

「ぎゃははは。そりゃそうだ。みっともない顔できないよねえ」

 

 ありがたいことに、店で元気よく働くおばちゃんがたにも、取材依頼は好意的に受けとめられたようだった。

 

「そいじゃ、どういう風にしたらいいんかね?」

 店の責任者である中年男性が僕に問いかけてきた。

 

「そうですね。まず麺の生地を仕込むところから見せてください。それと写真も撮りますので完成品も作って頂いて……。あとはみなさんへのインタビューなどを少々。あと可能ならば昼時にお邪魔させて頂いて、注文から調理の過程などを撮影させて頂ければと思います」

 

「ふむ。なら、いったん夜7時ころに来なさい。麺の生地を仕込むのはそのくらいの時間からだから。忙しくなるのはだいたい正午過ぎくらいだね。この店の客は市場の人たちじゃなくて近所の勤め人たちなんだよ。近くで働いている人の昼休みだから、かっきり12時から1時の間に来るといい。ただその時間帯はわれわれも必死だから、あまり協力することはできないかもしれないが……」

 

「大丈夫です。邪魔はしません」

「そうかね。じゃあそういうことで宜しく頼みます」

「はい。それでは今日の夜7時にまた伺わせて頂きます」

 僕は店の人たちに丁寧に頭をさげ、いったん店を後にした。

 

(2)に続く

 

20041215

 

 

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