コリ梅
029-冷麺が引き起こすこの世の悲劇
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人間が冷麺を食べているときに比較的よく起こり得る状況の中のひとつに、口の中で咀嚼し適正な長さまで噛み切ったと思われる麺の一部が自らの意に反して繋がっており、口から食道にかけて切れずにそのまま結ばれているという事態があります。すべては冷麺のコシが強く、生半の力では噛み切ることが出来ないという事実に起因しており、その問題を解消するため食前にハサミを用いて十字方向に切るという儀式が行われるというのは周知の事実であります。 しかしこの十字切断法も冷麺の麺すべてを人間が飲み込みやすい長さまで切断するというのは不可能であり、それなりの対応を講じたにも拘らず、冷麺は昨日も今日もそれから明日も人間の口から食道にかけて頑固にも繋がってみせるのです。 これらの事態が発生すると人間は瞬間的に自らの危機を感じ取り、事態を無事に収めようとなんらかの対処を行います。最も即断的な方法としてはその時点で思いきって吐き出してしまうというものが考えられますが、この方法を取る人というのは統計的に殆どおりません。大抵冷麺を食べている時というのは周囲に友人、知人、或は他人などがおり、食べ物を吐き出すという醜態ともいうべき行為を見られたくないという意識が働くためであると推測されております。 従って人間の多くがこの危機的状況に於て導き出す打開策の殆どが、若干無理のある強引な手法となってしまうのも致し方のないところです。それが難しい行為であると知りつつも、一縷の望みをかけ、口から食道まで繋がっている麺を力任せに飲み込んでしまうのです。 ところが人間の思惑に反し、人間の身体というのは危機的状況に対しあまりにも素直な反応を見せます。口から食道、胃を目掛けた嚥下運動に対し、人間の意にはそぐわない無意識の反発的行動を起こしてしまうのです。その結果、口からの押し込もうという力と、食道からの押し出そうという力が反発しあい喉の奥で一進一退の攻防を繰り広げるという悲劇が生れるのです。 当然飲食物は両者の力を受けて身動きがとれず、やむなく他の逃げ場を探すことになります。このとき考えられる唯一の逃げ場というのが鼻であります。喉の奥から外界へと通じる器官は口を除くと鼻しかないために、冷麺の麺は一斉に鼻へと侵入を開始するのです。 ここで重要なのはみなさんもよくご存知のように、鼻という器官が飲食物の出し入れに適していないということです。稀に鼻からスパゲティを通してうまそうに食べてみせるという奇特な方もいらっしゃるようですが、あくまでも例外であり、大抵の人がこれと同じことをやろうとすると大変な苦しみを伴うことになります。 鼻から飲食物の出し入れを行うと肉体的苦痛が発生するという他に、もうひとつの側面として鼻という器官は空気が出入りする場所だということにも注意を払う必要があります。通常であれば飲食中は呼吸を担当するもうひとつの器官である口が別業務に従事していますので、鼻は全面的に呼吸の役割を果さねばなりません。それがあくまでも異例の事態とはいえ飲食物で塞がってしまっているのです。 通常の出入りに使用すべき口と鼻の両方が塞がっていますから、空気は力技に訴えてでも脱出しようとします。行き場を失った空気は人間の意図するところとは全く関係なしに、鼻と口の両方に邁進してしまう性質を持っていることが経験者の口を通じ語られています。 食物を飲み込もうとする力に対し、押し戻そうとする食道からの力、そして逃げ場を失いとにかく外に出ようとしている肺の空気という2つの力が折り重なり、爆発的な正面衝突が起こります。当然この戦局で屈してしまうのは多勢に無勢の飲み込む力のほうであります。 周囲に友人、知人、或は他人などがいるにも拘らず、人間としての体面、プライド、自意識などが無残にも一気に崩落してしまう瞬間です。人前で醜態を晒すまいとして無理な意地を張ったがために、より大きな被害を引き起こしてしまったのですが、それに気付く余裕はありません。 脳が本格的な危機を認識したときにはもはや手遅れの状態であり、口の中に含まれていた麺、および破片化した大根キムチ、千切り胡瓜、梨、茹で肉の薄切り、さらに微量付着した調味料の酢、乃至は辛子などが、分泌された唾液、押し戻されてきた胃液、鼻から逆流してきた鼻水などと複雑に絡み合い、猛烈な勢いで外界に向けて噴射されるのです。 勿論このときの噴射口は口に限定されたものではありません。全体がよく攪拌された汚物とも思われるものが鼻からも同じように飛び出してきます。この事態によって起こり得るさらなる悲劇として、鼻から麺がだらしなくぶらさがってしまうということが考えられます。鼻毛の親玉のようにして飛び出している麺は、口から鼻から出てくる空気によって見事なまでに翻り、鼻の前でひらりひらりと揺らめいてみせることでしょう。もはや滑稽としか表現のしようがありません。 とはいえ深刻な事態というのは鼻の前で翻る麺そのものではありません。勢いよく飛び出てきた噴出物が四方八方に散乱し、近くで食事をしていた友人、知人、或は他人などの顔面、衣服、果ては食事中であった飲食物そのものに付着してしまうという事実であります。自らの不注意によって近隣で食事をしていた人たちに、恐れ多くも甚大なる被害を与えてしまったということを、呼吸困難の薄れゆく意識の中で感じることでしょう。 無理をしたために、呼吸は乱れ咳が止まらなくなります。慣れない飲食物の出入りを担当した鼻からは鼻水がたれ流れています。そして今もまだ鼻先で麺の1本がひらりひらりと揺れ動いています。目からはとめどなく涙が流れ、目の前の惨状は滲んでよく見えません。あたりからは悲鳴や怒号などが鳴り響いているようですが、それすらも聞こえているようで聞こえておらず、なにやら遠くの出来事のように感じられます。 平和だった食卓は一転して修羅場と化し、それがすべて自分のせいで起こったことだと自覚しつつも、それを正確に整理して理解するだけの力はありません。あたりを店員が慌てて行ったり来たりしているようでもありますが、それも現象のひとつとして認識するには至っていません。とめどない咳と飛び散る体液の中で、誰かが自分の背中を叩いてくれているのがわかります。 また自分自身では「大丈夫」という言葉で周囲を安心させようと思うのですが、それは悲しくも「だらいひょ、うぇっほ、えほえほ。ごふっ。だ、てゃいひょ、ぐっふぐふぐふ。」というような異国語とも思える得体の知れないものになり、より大きな不安感を与えるという逆効果を生み出します。 すべての事態が終束を迎えるのはまだまだ先で、絶え間ない苦痛と自尊心の損壊に延々と苛まれることになります。しかし真に恐れるべきは自分が正常を取り戻した後であるということをよく理解する必要があります。真の悲劇というのはここから先の現実を正視しなければならないということだからです。あなたは今日の食事をぶち壊した張本人であり、未来永劫に渡って鼻から冷麺をぶら下げた人だからです。 2003年03月13日 |
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