唐辛史

第9回‐民俗信仰説‐

 

最後は唐辛子の色に着目し、朝鮮の民俗信仰と関連して述べた説である。

 

朝鮮総督府の嘱託であった村山智順(1891‐1968)は民俗的な側面から当時の朝鮮人の生活、鬼神や風水にかかわる民俗宗教などを調査した。その著書の中のひとつに「朝鮮の鬼神」があり、この中で村山智順は病気をつかさどる鬼神と唐辛子の関係性について述べている。

 

村山智順が分析した人々の鬼神概念よれば、病気の鬼神は汚敗した空気や新鮮ならざる飲食物を通じ、口を主たる入口として人間の体内に侵入してくるという。鬼神が入りこむことによって人は病気になるので、当然これを防ぐ手立てを考えなければならない。この場合の手立てとは鬼神の好む食べ物を遠ざけること、そして鬼神の嫌うものを摂取することの2点であった。

 

以下は「朝鮮の鬼神」からの引用である。

 

「鬼神は口から飲食物に依って入るものであると云ふのが一般の信仰である。而して鬼神は飯、味噌、醤油、肉類等の日常缺くべからざる常用食物を好む。だから之等を飲食する時其処は悪鬼が群って居て、何時之に乗じて入らないとも限らぬ。この不時の侵入を遮け、又假令進入しても居たたまらなくするには、彼等の嫌忌するもの以って加味するか、又は嫌忌するものを共に食する事である。そこで退鬼法防鬼法は日常食事へと発展した。」

 

「唐辛子、葱、蒜等の辛きもの、臭きものが朝鮮料理にはなくてならぬものであるが、悪鬼の好物である飯にも防鬼の調味をなすものがある。飯には辛きもの臭きものの如く味覚嗅覚に訴えるものを以てする。それは赤色である。(中略)朝鮮料理は唐辛子料理評しえるが如く他の香料よりも多量に使用し、或いは之を刻み、或いは粉にし、汁にして、あらゆる食物に調味加味するが、これは他の辛味に比し、赤くして辛いという色と味と両者に於いて悪鬼の嫌忌するものであるが為で、単に味が好いとか沢山収穫し得るからでは決してない。」

 

鬼神は日常的に食べる飯、味噌、醤油、肉類を好み、唐辛子、葱、ニンニクのように辛く匂いのあるものを嫌う。コチュジャンのように味噌に唐辛子を加えたり、醤油の甕に赤唐辛子を浮かべておいたりするのは鬼神を近づけない工夫でもあったのだ。

 

さらに鬼神は陰陽の考え方では「陰」の気を持ち「陽」の色が濃いもの。つまり赤いものを非常に嫌う性質を持っている。家に病気の人間が出たときは、家の門に赤い字で呪文を書いた符籍という紙を張って鬼神を追い出したといわれ、また宣祖10年(1577年)には疫病が流行したため、牛を殺しその生き血を門に塗ったという記録がある。

 

この点で唐辛子は圧倒的な辛さに加え、鮮やかな赤色をしており、鬼神の嫌う2種類の要素を兼ね備えた稀有な食物であったと言える。

 

まだまだ科学的な医療知識が発達していなかった時代、人々が頼ったのはこういた民間の信仰であっただろう。ひとびとの口伝えに鬼神を防ぐ万能調味料として唐辛子が急速に発展していったということは充分にありうる話である。

 

<続く>

 

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