唐辛史

第5回‐朝鮮伝来‐

 

まず韓国の学者、李盛雨によれば、唐辛子は豊臣秀吉朝鮮侵略の際、倭兵が朝鮮民族を毒殺しようと運び込んできたのもので、韓民族の体質が倭人と違って強靭であったため、かえってこれを愛用するようになったという話が伝えられているそうだ。

 

毒物としての唐辛子は、大量に風上で焼かれ唐辛子交じりの煙を敵陣まで飛ばすことによって、目潰しの役を果したり、セキが止まらない状態にして混乱させるというように使われたらしい。のみならず、奇襲作戦として粉末唐辛子を敵の顔にぶつけるといった戦法まであったという。

 

現実に唐辛子が毒物として使われたかどうかはわからないが、話としては非常に面白い。辛いものを日常に食する文化がなかった日本で唐辛子は毒物の一種として捉えられ、戦略武器として朝鮮半島に渡る。一方の朝鮮半島ではニンニクや生姜、蓼、胡椒などの香辛料を使う文化的素地があり、辛い唐辛子を食べることができた。それを体質が日本人よりも強靭であるから毒に負けないのであると解釈し、かえって愛用するようになったというのだ。これほど愉快な歴史はない。

 

では朝鮮半島への唐辛子伝来は秀吉の朝鮮侵略時と結論付けてよいか。じつはこれにも異論がある。1709年に書かれた「大和本草」には「昔は日本に無く、秀吉公朝鮮を伐つ時彼国より種子を取来る。故に高麗胡椒という」との記述があり、高麗胡椒とは当時の唐辛子の呼び名である。また1775年の「物類呼称」には「番椒、たうがらし、京にてかうらいごせうと云ふ。太閤秀吉朝鮮を伐給ふ時種取来る」とある。どうも日本でも朝鮮でも秀吉の朝鮮侵略時に唐辛子が来たとしているようだ。

 

実際、文禄の役は1592年、慶長の役は1597年といくらかの時代差があるので、文禄の役のときに朝鮮に入り慶長の役のときに持ちかえったと考えればつじつまが合わないことも無いが、やはり少し無理がありそうだ。

 

実はもうひとつ秀吉以前に倭寇が持ちこんだという説がある。当時朝鮮沿岸で猛威を振るっていた海賊、倭寇が九州で唐辛子を手にいれ朝鮮半島に持ちこんだという説だ。これならば時代的につじつまが合うのだが、残念なことに今もってこれを証明する史料は何も無い。

 

総合的に判断してしまうとこれはもう、わからないという結論しかない。とにかく九州地方に伝来した唐辛子は、何らかの手段で朝鮮半島に入り、再度日本に持ち込まれたということだけは確かであるようだが、その経路は今もって謎なのである。

 

 

さてともかく16世紀後半に朝鮮半島に唐辛子が伝わった。この瞬間から朝鮮料理が真っ赤になったと考えてしまいたいところだが、実際に唐辛子が料理に使われ出すまでには、なんとさらに100年以上のブランクがある。17世紀後半から18世紀にかけて突然唐辛子が大量に投入され始め、料理が真っ赤に染まっていくのだ。

 

その理由は一体なんだったのか。真の「唐辛史」はここから始まる。

 

<続く>

 

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