唐辛史

第2回‐胡椒‐

 

唐辛子を語るためにはまずどうしても胡椒について述べておく必要がある。

勿体つけているように感じられるかもしれないが、少しの間お付き合い頂きたい。

 

時はさかのぼって15世紀。舞台はヨーロッパ。十字軍の失敗による教皇権の失墜、封建社会の安定による商業の発達、そして大航海時代を目前とする、まさに激動の時代である。当時、胡椒は大変な貴重品であり「コショウ一粒は黄金一粒」とまでいわれた。ヨーロッパは肉食の文化であり、まだ冷蔵庫のない時代、それひとつで防腐、消臭、調味の役を果す胡椒は、まさに魔法の香辛料であったのである。

 

ところが、その胡椒は熱帯地方のみで栽培される香辛料であり、温帯、亜寒帯に属するヨーロッパでは栽培が不可能。非常に高価だったのもこのためで、胡椒の入手はヨーロッパとインドを行き来するジェノバ商人たちによる東方貿易によってまかなわれているに過ぎなかったのである。

 

そして15世紀中葉。この東方貿易が致命的な打撃を負う。

 

1453年、7代スルタン、メフメト2世率いるオスマントルコ帝国が、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを陥れる。これにより東ローマ帝国は滅亡。コンスタンティノープルはイスタンブルと改称され、オスマントルコ帝国はこの地を新たな首都とし、ヨーロッパとインドの間に広大な領土を築いたのである。このため、東方貿易は通行の手段を失い事実上不可能となり、同時に胡椒の道も閉ざされしまったのである。

 

道を失われたジェノバ商人達は他のルートに目を向けざるを得なかった。このときジェノバ商人たちが接近したのが、イベリア半島でイスラム勢力を駆逐し、国土回復を達成したポルトガル・スペイン両王国である。国土を回復し領地獲得の野望に燃えていた両国にとってもジェノバ商人の持ちかける話は魅力的なものであった。

 

この時代は特に羅針盤の改良、造船技術の発達、地理・天文学の向上により遠洋航海が可能になりはじめだ時代でもあった。地中海経由の東方貿易が不可能であるのならば、アフリカ経由でアジアに行けないか。商人たちはこう考えたのだ。世に言う大航海時代の幕開けである。

 

いち早く国土回復を成し遂げたポルトガル王国が大西洋に飛び出す。1445年航海王子エンリケの派遣船がアフリカの最西端ヴェルデ岬に到着、アゾレス諸島を中心に植民を繰り返し、1488年、バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達。1498年にはバスコ・ダ・ガマがアフリカ経由でインド洋に入りインド西岸カリカットにたどり着いたのであった。

 

国土回復にもたつき、一歩出遅れたスペイン王国も女王イザベル1世のもと大航海時代に乗り出す。このイザベル1世から、胡椒を持ちかえることを条件に資金援助を受けた、イタリアはジェノバ生まれの航海者がいる。トスカネリの地球球体説を信じ、大西洋を西へ向かった人物。1492年、ヨーロッパ人にとって未知の大陸を発見した人物。そう、かの有名なコロンブスである。

 

<続く>

 

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