唐辛史

第12回‐鬼神と伝染病‐

 

朝鮮文化に根付く陰陽五行の思想と、病気を司る鬼神の関係はどのように繋がっていくのだろう。陰陽五行において、陰の気を持ち人々の健康を蝕む鬼神とはいかなる存在であったのか。李朝時代の人々は鬼神をどのように解釈していたのか。これらについて説明をしておきたい。

 

まず当時の時代背景であるが、李朝後期は頻発する伝染病被害に苦しめられた時代であった。鬼神が憑くことによって病気が発生するのであれば、鬼神が猛威を振るった時代だったとも言える。真性コレラや腸チフス、天然痘などの伝染病が朝鮮半島を断続的に襲い、夥しい数の死者を出した。記録によれば、比較的規模の大きい伝染病だけでも平均2.6年に1回発生しているという。

 

李朝後期の約200年間、伝染病によって1万人以上の死亡者が出た年だけでも15回に上り、そのうちの6回は10万人を越す死亡者を出している。1699年に発生した伝染病は25万5千人という莫大な病死者を出し、1742年にも死亡者数が数十万人を超える被害が出ている。また1749年には全国で50万名以上が伝染病で死亡し、1750年にも23万名の死亡者が発生したのである〔姜萬吉、1984、『韓国近代史』、創作と批評社〕。

 

このとき朝鮮半島の人口がわずか5〜700万人程度であったことから考えると、その数字がどれほど大きいものだったのかよくわかる。1回の伝染病で人口の約7〜10%を失うという甚大な被害だ。

 

これら伝染病の悲劇はなにも朝鮮半島に限ったことではない。人類の歴史をさかのぼれば、あちこちに伝染病の悪魔が潜んでいるのを発見できる。中世ヨーロッパを恐怖に陥れ、全人口の3分の1を死に至らしめたペスト。エドワード・ジェンナーがワクチンを開発するまで恐怖の対象であり続けた天然痘。江戸時代の日本でも猛威を奮ったコレラ。その他にも赤痢、チフス、マラリア、結核など、死に至る病がごくありふれて身の回りに転がっていた時代だ。

 

世界各地で医学と伝染病が戦い、また一般大衆は迷信や俗信、民間信仰などをもって伝染病に立ち向かった。神に祈る。悪魔払いをする。デマや流言の類も飛び交ったであろう。

 

世界で初めて病原菌が発見されたのが1876年。ロベルト・コッホがハツカネズミを用いた実験で炭疽菌を見つけた年である。伝染病医学はその後、急速な発展を遂げ、数々の難病を克服していくが、それはまだずいぶんと先のことである。

 

黒死病とも呼ばれたペストは中世のヨーロッパを大混乱に落し入れ、人々は目を覆わんばかりの惨状にただ怯えるだけであった。ネズミやノミを媒介してペスト菌が広まっていくという感染経路や、予防法、治療法についての正確な知識があろうはずもない。頭痛、発熱、全身のけだるさ。やがて身体中に浮き出る黒色の斑点。大量の死者が出る中で人々は口々に「悪魔の呪い」や「魔女の仕業」を叫ぶしかなかった。教会の権威は地に落ち、無実の女性が次々と処刑された。世に言う魔女狩りである。

 

それと同様、朝鮮において悪魔や魔女の役割を果したのが鬼神である。

 

<続く>

 

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