特集記事 Vol.2 プロフィール−歴史−食べ物−見所−海−寺−お役立ち情報
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釜山の歴史 |
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釜山という地名が記録上初めて現れるのは1368年、高麗の恭愍王時代のこと。講究使の李夏生を対馬へ向けて派遣する際、白米千石を富山浦(プサンポ)から送ったという記述が残されている。1454年に書かれた『世宗實録地理志』にも「東莱富山浦」という記述が見られ、当時はまだ富山という字をあてていた。その後1486年に書かれた『東國輿地勝覽』を見ると「釜山は東平県にあり山の形が釜のようであるから釜山と呼んだ」と書かれており、この時期を前後して富山は釜山に変わったと見られている。 |
釜山タワーの展望台から撮影した釜山市内
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釜山にいつごろから人が住み始めたのかは定かでないが、影島区東三洞 、釜山鎮区田浦洞、東莱区漆山洞などから貝塚が発見されており、紀元前3000年頃には海沿い、川沿いを中心に人類が居住し始めていたと推定されている。釜山に関する最初の歴史的記録は『魏志東夷伝』に登場する。この『魏志東夷伝』には、3世紀前半の時点で釜山を含む洛東江下流域に12の小さい部族国家があったと記されている。その後6世紀頃までは伽倻からの政治的、文化的影響を受けつつも部族国家の群雄割拠する時代が続き、統一新羅の誕生をもって東莱郡と称されるようになった。 |
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左から光復路、国際市場、釜田市場
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1950年からの朝鮮戦争時には釜山は臨時首都の役割を果たした。このときは全国から多くの避難民が釜山に集まったという。このとき避難民が集まって自然的に発生した市場が現在の国際市場であり、釜田市場である。朝鮮戦争を経て釜山は直轄市となり、1995年からは広域市と名称が変更された。現在は人口383万人を誇る韓国第2の都市であり、また韓国一の貿易港としても知られる。釜山という地名が記録上初めて現れるのは1368年、高麗の恭愍王時代のこと。講究使の李夏生を対馬へ向けて派遣する際、白米千石を富山浦(プサンポ)から送ったという記述が残されている。1454年に書かれた『世宗實録地理志』にも「東莱富山浦」という記述が見られ、当時はまだ富山という字をあてていた。その後1486年に書かれた『東國輿地勝覽』を見ると「釜山は東平県にあり山の形が釜のようであるから釜山と呼んだ」と書かれており、この時期を前後して富山は釜山に変わったと見られている。 |
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この文章を書くにあたり以下の資料を参考にしました。 <WEBページ> 釜山広域市文化観光情報システム 釜山広域市中区歴史文化観光情報システム ヤフーコリア百科辞典[釜山広域市]の項目 <書籍> 釜山インフォネット出版企画チーム『港都釜山大探検』東洋文庫、2001年 |