サメガレイなる日々
024-僕の珍島物語(前編)
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旅に出ると自分の意思とは関係なく、 波乱万丈の展開に巻き込まれることがある。 時に緊張を強いられるが、それが旅の醍醐味でもある。 僕と友人M氏が珍島に向かったのは、 特に深い理由があってのことではなかった。 珍島といえば海割れで有名な島。 だが、いまはそのシーズンでなく、 他には天然記念物の犬がいることしか知らない。 そんな浅薄な知識で珍島を目指したのは、 最初の目的地が木浦で、距離的に近かったから。 後は珍島のネームバリューにひかれたくらいだろう。 木浦まで行くのだったら珍島まで行ってみようか。 そんな軽い気持ちでしかなかった。 そもそも木浦を目指したのにもあまり意味はない。 美味しいものが食べられればそれでいい。 ソウルから深夜バスで一気に木浦まで行き、 木浦と光州をベース基地に周辺の町を目指す。 その周辺の町というのが羅州、霊光、そして珍島であった。 羅州と霊光は僕が強行に主張したためである。 羅州はコムタンが有名、霊光はクルビが有名。 以前にも全羅南道を旅しつつ、食べ逃した悔恨の2品だ。 また最初に目指した木浦も、ナクチとホンオが目的であった。 だが、珍島には何があるのか知らない。 純粋に珍島という名前だけを目指し、 木浦から市外バスに乗り込んだのである。 どんな郷土料理があるのかすらも知らなかった。 |
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木浦はナクチ料理とエイ料理を目指して行った。右上は小さいナクチを丸ごと食べるセバルナクチ、左下はヨンポタン(ナクチのスープ)、右下はホンオフェ(エイの刺身)。 |
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そんな無鉄砲な計画がゆえに、 珍島到着と同時にそのツケが回ってきた。 バスを降りるやいなや、僕ら2人は途方に暮れた。 「珍島に着きましたね」 「着きましたね……」 「ここ、どこですかね」 「まるでわかりませんね……」 手元にガイドブックのひとつもない。 バスターミナルを出てあたりを見回しても、 広大な野原に、地元スーパーがぽつぽつとあるだけ。 地方都市で活躍する観光案内所すらない。 かろうじて珍島の観光マップだけが大きく掲げられていたが、 悲しいかな「現在地」がそこに書き込まれていなかった。 珍島の名所はこれでわかるものの、 自分たちがどこにいるのかがわからない。 「僕らいったいどこにいるんでしょうね……」 途方に暮れるよりほか、僕らにできることは何もなかった。 ともかく歩き始めよう。 現在地のない案内板をずっと見ていても仕方がない。 ターミナルを出て、方向感覚もないまま歩き始めた。 その状況でいきなり「郡庁」の看板を見つけたのは僥倖である。 車用に設けられた方向指示用の看板。 その12時方向に「郡庁」の文字が刻まれていた。 こうした地方都市ではガイドブックの類よりも、 地元の観光課が作るパンフレットのほうがはるかに役に立つ。 僕は過去の地方旅行でそれを経験していたので、 まず郡庁に行ってみることを友人に提案した。 結果的にはこの選択が大当たりであったことになる。 僕らは3、40分ほどウロウロ迷いながら、 土曜日で休みの珍島郡庁にたどりついた。 「いくら土曜日でも多少の職員はいるに違いない」 そう決め付けてズカズカと中に入っていく。 そして予想通り。 最小限しか明かりのついていない暗いオフィスに、 わずか3人ばかりの職員が休日担当として出庁していた。 「旅行者なのですが観光地図はありませんか?」 突然の来訪者である僕らを不審げに見ていた職員は、 そのセリフを聞いて、ほっと安心したようであった。 ひとつふたつ首を縦にふると、目の前の棚をゴソゴソあさり始めた。 「どちらからいらしたんですか?」 別の職員がやってきて僕らに尋ねる。 「日本です」 と答えたところで、観光地図を探していた職員が固まった。 「え、日本からいらしたんですか?」 「はい。日本から来ました」 相手が外国人だとわかって緊張感が走ったらしい。 日本語のパンフレットを探さなきゃいけない、と呟くと、 さらに慌てて棚の中をごそごそ探し始めた。 だが、その職員がイメージする資料が見つからないようだ。 見かねた年配の職員が内線電話をかけ始める。 「観光課に誰かいるかもしれない……」 幸いにも電話はつながり、観光課にも職員がいることがわかった。 僕らはその職員に連れられ、2階の観光課へと移動した。 |
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珍島の市外バスターミナル付近で郡庁の案内看板を見つけた。右の写真が珍島郡庁。 |
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この時点で「何か大事になってきた」という予感があった。 当初のイメージでは観光用のパンフレットと、 いくばくかの現地情報が得られればそれで満足だった。 現在地、有名な観光スポット、そしてバスの乗り場。 そんな基礎的なことが知りたかっただけである。 それがいつの間にか、外国からのお客様扱い。 ふと気付くと、僕らの目の前には観光課の課長が座っており、 担当課員が僕らのために休日出勤してくるという話になっていた。 「なんだ、何がどうなっているんだ!」 珍島の特色を熱く説明してくれる課長の前で、 僕らはその状況を飲み込めず、静かに混乱していた。 やがて登場したのはひとりの日本人女性である。 パタパタパタとせわしげにやってくると、 「あ、こんにちは。日本……の方ですか?」 と僕らに問いかけた。 小柄な感じの女性。もちろん流暢な日本語。 だが「日本の方ですか?」はむしろこちらのセリフだ。 観光課長からだいたいの説明は受けていたものの、 正直、話を聞きつつ半信半疑だったというのがある。 観光課には韓国人と結婚した日本人女性が勤務している。 日本人の案内は彼女が担当しており、さっき電話したのでいまから来る。 珍島はこう見えて広いので自力で観光するのは難しい。 彼女が車を出してくれるので、それで観光すること。 こんな都合のいい話が世の中に転がっているわけがない。 だがやってきた女性の言葉を聞いて驚いた。 パーフェクトな日本語。間違いなく日本人であった。 |
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道を聞こうとコンビニに入ったら見かけない酒が売られていた。珍島の地酒で紅酒(ホンジュ)というそうだ。ムラサキという植物から作る。 |
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事情は話をしていくにつれて明らかになった。 頂いた名刺には日本式の本名の下に、 漢字を韓国語読みしたハングルが書かれていた。 仮にTさんとしておこう。 Tさんは漢字ひとつひとつに韓国語読みのハングルを当てていた。 僕の場合であればハッタヤスシではなく、 パル・チョン・チョン・サと書いた感じ。 「日本語読みしないんですね」 と僕が言うと、 「ええ、私は1997年1月に韓国籍を取得しているので」 という答えが返って来た。 20年ほど前に韓国人の旦那さんとご結婚され、 旦那さんの実家である珍島に渡り住むことになったそうだ。 しばらくはそのまま日本人として住んでいたが、 天童よしみの「珍島物語」が日本で大ヒット(1996年)。 日本人観光客がどっと増えたため日本語のできる職員が必要となり、 韓国籍を取得して観光課員となったそうだ。 海割れの時期には日本からもたくさんの日本人が来る。 その日本人からの問い合わせを一手に引き受けるのがTさんだ。 シーズン以外にも日本からの観光客は多く、 団体で来る場合は島の案内なども担当されるという。 僕らは個人旅行だったが、なぜか同じ恩恵にあずかることになった。 かくして僕らは最高のガイドを味方につけ、 珍島の観光を思いがけない形で堪能できることになった。 |
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