サメガレイなる日々

016-がんばる29歳−過去との再会編

 

 

高知県の四万十川をイカダで下った事がある。

サークルの合宿として行き、1週間かけて海まで下った。

かれこれ10年前。僕が19歳の夏だ。

 

思い出深い1週間だったが、その話は思い切って割愛する。

今回語るのはそのイカダ下りが終わった後の話。

仲間と別れ、高知駅で1人になってからの物語だ。

 

僕は10日後に広島に行く用事があったため、

仲間と一緒に東京へは戻らず、そのまま広島へ行くことにした。

せっかくやってきた四国。観光もしてまわりたい。

 

だが19歳の若者なので時間はあっても金がない。

最小限の資金で、最大限四国を楽しむにはどうしたらよいか。

 

考えた結果、僕は四国を歩いて旅することにした。

 

四国から本州に戻るには瀬戸大橋を渡る必要がある。

その瀬戸大橋の入口となるのは香川県の坂出市。

ここをゴールと定めて、高知市から歩いていったらどうだろう。

 

ちょうどこの区間はJR土讃線で結ばれており、

時刻表によれば高知駅から坂出駅までの営業キロ数は138キロ。

1日20キロずつ歩いても1週間でたどり着ける。

10日間で広島まで行くにはちょうどよいように思われた。

 

途中で四国山地と讃岐山脈を越えなければならないが、

南から北へと突き抜ける縦断ルートというのは気持ちがいい。

しかもJR沿いに歩けば、いざというときのリタイアも可能。

道に迷う心配もなしに四国を目一杯楽しむことができる。

 

「ようし、それで行こう!」

 

決意した僕はザックを背負いヨタヨタと歩き始めた。

 

と、ここまで書いて話はいきなり現代に戻る。

 

先日部屋の掃除をした際に、そのときのカメラが出てきた。

コンビニかどこかで買ったと思われる1台の使い捨てカメラ。

旅の途中で色々撮影したまま、現像に出すのを忘れていたのだ。

 

19歳の僕が撮影した四国縦断ウォークの記録。

 

自分自身でも何を撮影したのかまったく覚えていない。

ある種、タイムカプセルのような青春の遺物である。

 

それを今回、現像に出してみた。

 

失敗写真や、旅行後に撮った写真も含まれており、

四国縦断ウォークで撮影された写真は全部で12枚。

 

この写真をもとに、当時の思い出を振り返ってみたい。

 

10年前の僕はどんな旅をしていたのか。

10年前の僕は何を記録として残したのか。

10年前の僕は何に感動したのか。

 

10年前の僕に会いに行こうと思う。

 

 

机の引き出しから10年前の使い捨てカメラが出てきた。

 

【1枚目 土佐山田駅】

やはりというべきか、駅を撮影した写真がいちばん多かった。

線路沿いに歩いているので、駅は休憩所であり宿泊所でもある。

旅館に泊まる資金はなかったので、最後まですべて野宿だった。

無人駅のベンチにマットを敷き、ゴロンと転がって寝た。

 

土佐山田駅は高知駅から数えて8駅目。

15.3キロ地点で、初日の宿泊ポイントとした。

 

いきなり20キロのノルマを達成できていないが、

これは午前中だけで切り上げ、午後を龍河洞観光に当てたため。

日本3大鍾乳洞のひとつと聞いて見に行くことにしたのだ。

左手のオレンジ屋根が土佐山田駅の駅舎。駅前の木が南国を物語っている。

 

【2枚目 龍河洞】

その次の写真がまさにその龍河洞の写真。

暗くてよく見えないが「洞入口」の看板が写っている。

 

ちなみにこの日だけ何故か日記が残っており、

 

「人が多くて残念だったがとても良かった。やはり自然は偉大だ」

 

という文章が残されている。

素っ気ない文章だが、19歳の僕なりに感動したのだろう。

龍河洞内部の風景もうっすらとだが記憶に残っている。

龍河洞入口。日本3大鍾乳洞のひとつに数えられる。

 

【3枚目 ???(遠くに見える陸橋)】

3枚目の写真は何を意図したものかわからない。

山間に遠く線路らしき陸橋が見え、それが被写体の中心になっている。

おそらく景色の美しさに、思わずシャッターを押したのだろう。

どの地点で撮られたのかも覚えていない。

山間部に見える陸橋を撮影したようだ。

 

【4枚目 大豊トンネル】

このトンネルのことはよく覚えている。

全長1605mと距離が長く、歩くだけでも本当に怖かった。

薄暗い上に道幅が狭く、いつまでたっても出口が見えない。

 

また、トンネル内を歩くような人は普通いないので、

どの車も例外なくものすごいスピードで通り過ぎていく。

ちょっとでも車道にはみ出たら死ぬだろうと思った。

 

写真はトンネルに入る前に撮ったような気がするが、

抜けた後にほっとして思わず撮影したものかもしれない。

息詰まるような圧迫感に押しつぶされそうだった。

大豊トンネルの入口。当時の恐怖は今もくっきりと覚えている。

 

【5枚目 大杉駅】

2日目のポイントとして目指した駅。

大きなスギの木があるので大杉というわかりやすい地名だ。

ここのスギは樹齢2千年前後で、国の天然記念物にも指定されている。

 

わざわざルートを外れて見に行ったはずだが写真は残っていない。

あまりの巨大さに見上げるだけ見上げたら気が済んだのだろうか。

今思うと写真がないのは残念でならない。

大杉駅で寝るつもりだったが、予想外に立派な駅だったので野宿を断念。次の無人駅まで疲れた身体を引きずって歩いた。

 

【6枚目 高松まで100キロの標識】

この写真の意図はわかりやすい。

道路脇には1キロごとに標識が立てられており、

それを心の支えにして歩いていた。

 

ゴールは坂出なので厳密には意味のない100キロだが、

同じ香川県の市ということで、おおまかな目安にしていた気がする。

この100が段々減っていくのが嬉しかった。

高松まで100キロ、池田まで45キロ。1歩1歩進んでいく。

 

【7枚目 大歩危・小歩危付近の渓流】

大歩危と書いておおぼけ、小歩危と書いてこぼけ。

その地名の語感が面白くて、ここを目指すのが楽しみだった。

 

その頃の僕は知らなかったが大歩危・小歩危は有名な景勝地である。

ゴツゴツとした岩の渓谷が独特の景観を創り出しており、

中心には四国三郎との愛称で呼ばれる吉野川が流れている。

 

大歩危・小歩危という珍しい名前は奇岩怪石にちなんだとされ、

「大きく歩くと危険」「小さく歩いても危険」という意味だと説明される。

俗説とも言われるが、実際に景色を見ると妙に納得してしまう。

国道から眺める急流。吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 

【8枚目 大歩危・小歩危布巾の渓流】

同じく大歩危・小歩危の写真だが、吊り橋から撮ったように思う。

小歩危のそばにある吊り橋で、地元の人たちはそこで酒を飲んでいた。

なんとも危険な話だが、そこで飲むと気分がよく最高だとのこと。

 

この日は小歩危の駅にたどり着いてそこで野宿。

このあたりでは、駅で寝るのにもだいぶ慣れてきた。

吊り橋から眺めた吉野川。山間をうねるように流れていく。

 

【9枚目 池田高校】

甲子園の常連、池田高校を写した写真。

阿波池田駅に行く道の途中で撮影したものだが、

このときはなんだか妙に興奮していたのを覚えている。

 

「ここがあのムヒで有名な池田高校か!」

 

なんてことを呟きつつ写真に撮り、CMソングも口ずさんだ。

 

ここでひとつ不思議なのが、その直後に食べたそばの写真がないこと。

阿波池田駅に着いた僕は、昼食として名物の祖谷そばを食べに行った。

 

祖谷そばの特徴はつなぎを使わずそば粉だけで打つ点。

コシが強すぎるため、麺がぶつ切りになって妙に短い。

なんとも不思議なそばだが、地元の人から強く薦められて行った。

 

なのになぜその写真がないのだろう。

池田高校で満足し、そばまでは考えが回らなかったのだろうか。

徳島池田高校の正門。僕にとっても高校野球がまだ身近だった。

 

【10枚目 箸蔵駅】

阿波池田駅を出発し、この日の宿泊場所にしたのが箸蔵駅。

香川に住む大学の友人と連絡をとっており、この駅で落ち合ったはずだ。

駅のベンチに陣取って、友人の持ってきたウォッカで酒盛りをした。

 

だが、なぜあえてこの駅で会ったのだろう。

箸蔵駅はまだ徳島県で、あと2駅で香川県に足を踏み入れる。

友人のほうに何か用事があったのかもしれないが、

なんとなく陣中見舞いを自分から要請したような記憶もある。

 

1人で黙々と歩いていたから人恋しかったのかもしれない。

そういえば公衆電話から東京の友人に電話をかけ、

 

「俺いま四国縦断ウォークしてるんだ。へへーん」

 

というような話をわざわざしたこともあった。

まだ19歳。1人旅をするにはやや幼かったのだろう。

箸蔵駅の駅舎。友人は終電に乗って丸亀市まで帰っていった。

 

【11枚目 坪尻駅】

坪尻駅の写真を撮ったのは前日会った友人の影響である。

讃岐山脈のド真ん中にあたり、山間に引っ込んだ秘境のような駅。

この駅について、酔っ払った友人が熱く語っていた。

 

「ここの隣の坪尻って駅がすごいんだよ」

「山奥の何もないところで、なぜ駅を必要なのかまったく不明」

「周りには人家すらなく、最寄りの国道へも出ることができない」

「現代の秘境。四国の魔境のような駅だ」

 

そのときはずいぶん誇張しているなと思ったが、

次の日、坪尻駅付近を通ったらそれはすべて事実だった。

 

山間にわずか見える駅を撮影したつもりだが、

写真を見てもどこが駅なのかすらよくわからない。

周りは一面山だらけ。確かに秘境駅である。

写真の中央からやや左下に駅がある。山肌にできた引っかき傷のような駅だ。

 

【12枚目 ???(川)】

3枚目に続き、これまたどこで撮ったかわからない写真。

緩やかな流れの川を撮影しており、朝日が川面を照らしている。

写真としては美しいが、記憶にはまったく残っていない。

これが最後の写真なので、香川県内で撮ったものではないだろうか。

四国縦断ウォーク最後の写真。意図はともかく美しい写真だ。

 

写真はこれですべてである。

今こうしてみると、あるべき写真がほとんどない。

 

まず自分自身を撮影した写真が1枚もない。

またスタートの写真、ゴールの写真も見当たらない。

旅の記録になるような写真もまったくない。

 

気分の向くままにシャッターを押しただけ。

12枚目の次は、いきなり広島城の写真まで飛んでいる。

 

こうして旅の記録をまとめている今の僕をあざ笑うかのようだ。

 

もっともこのときの僕はまだ物書きを目指しておらず、

将来のことなど遠い未来のことで何も考えていなかった。

自分のやりたいことを模索するので精一杯だったと思う。

 

こういう写真ばかりになるのは、ある意味当然のことだ。

 

 

だが、そのぶん気持ちが素直に表れているようにも感じる。

 

わずか12枚の写真だが、当時の思い出が次から次へと蘇ってきた。

写真を撮ったときの心情風景までがくっきりと思い出せる。

 

今の僕ならきちんと意図をした写真を撮るはず。

書くことを前提に写真を撮り、同時に話もまとめながら旅をする。

ネタになるストーリー。ネタを活かして補足もできる写真。

 

常に何かを考えながら撮るため、どうしても気持ちは2の次になる。

そういった意味では、今の僕には撮れない写真なのかもしれない。

 

机の引き出しから出てきた10年前の自分。

今の僕にはその姿が少しだけ眩しく見える。

 

10年前の自分に負けてはいけない。

がんばれ29歳。がんばろう29歳

 

 

 

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