書籍刊行情報

ブックレビュー(執筆者:メヒャン)

 

 

「韓国語を勉強しないで勉強した気になる本」

なんというトリッキーなサブタイトルであろうか!

 

皆さん、だまされてはいけない。

この本は「勉強しないで」どころか、「勉強してないようにみせかけて、実は、ものすごく勉強している実録」であり、「具体的学習メソッド」の本である。

 

八田氏は、言葉遊びが巧い。穏やかに描写していく中で、ふっとはずし、あれっと思わせ、また何事もなかったかのように語っていく。

まるで、真面目なニュースキャスターの表情と、深刻な世界情勢を伝える口調で、漫才ネタを読み上げるごとくはずしてくれる『八田節』〈私は密かに「着崩しの効いた文体」と呼んでいるが〉に、はまった方も多いだろう。

 

この本の『はじめに』の章ですでに八田氏はこの言葉遊びではずしながら、読み手を丸めこみ、いかにも遊びへいざなうかのように導いていく。彼のとほほキャラを浮き彫りにする爆笑エピソードとあいまって、我々は、楽しい韓国留学生活を擬似体験し、飲んだくれているうちに語学は上達していく・・・。

 

八田氏と時期を同じく延世大学韓国語学堂で学んだ私は、彼が『コリアうめーや!!』というメルマガを書きはじめ、同名のホームページを開く以前から、ごく内輪のために書かれた、やんちゃでほとばしるような文章をも読む機会に恵まれてきた。多くの人の目に触れるにつれ、文体も内容もどんどん巧くなったけれど(失礼!)、こちとら、ちっとやそっとでは丸めこまれんぞという(まるで小姑のような)、八田節への免疫がある。

 

しかし、である。 第1章『遊んじゃおうよ』の数ページも読まぬうちに、私は文体の着崩し洗練度をチェックをする小姑根性などすこーんと忘れ、外国語学習における教室外活動の実技記録として、また、異文化コミュニケーションの記録として、読みいっていたのであった。

 

語学の学習は、「記憶」と「応用・活用」の繰り返しである。単語や文法を覚える(「記憶」)。そして、記憶したものを組み合わせて、文を読んだり、話を聴き取ったり、または自分で文章を作って、書いたり話したりする(「応用・活用」)。

 

語学学習を「読む」「書く」「聴く」「話す」と区分した場合、記憶した知識を使って「読む」のはなんとかなるが、あとがなかなか難しい。「書く」のは(正確度はさておき)なんとかやってみても「話す」となると言葉がでてこない、学習用テープの言葉は「聴き」取れてもネイティブスピーカーの普通の言葉は「聴き」取れない、などなど、韓国語に限らず外国語を学んだ人ならば一度は感じたことがあると思う。

 

つまり、「知っている」が「使えない」という壁である。

 

八田氏は、この本の中で、日本人の苦手な「活用・応用」の部分での具体的な取り組み方、「知っている」ことを「使える」ようにする道筋を、楽しく語ってくれる。『僕の勉強法はインパクトを得る勉強法』(p217)と断言するとおり、モチベーションとなる恋愛(失恋?)や唐辛子への興味等、その場面をインパクトと共に鮮やかに再現してくれる。映画・ドラマの具体的な見方、Eメールの利用法、自家製教科書での活用力の身につけ方などは、なにも留学しなくても、すぐに真似して実践できるだろう。

 

なにより、全体にみられる『郷に入れば郷に従え』の姿勢には、まさに、はっとさせられるものがある。

旅行ではなく一定期間、外国で暮らす場合、その国をありていに、丸ごと受け入れるというのは難しい。初めこそ、見るもの聞くもの面白がっていても、慣れて自分自身の一部である日本の習慣・文化との境界があやふやになると同時に不満が生まれ、ストレスが溜まっていく。

 

第6章『韓国人と遊ぼうよ!』で語っている通り、八田氏自身は、「うわ、まるで韓国人!」というタイプではない。初めから相手との距離をぐいぐい縮めようとする韓国人に対し、けじめや個人個人との境界線を保ち気も遣いつつ徐々に近づいていく、ごく普通(凝り性という点で変わっているのは否定できないが・・・)の日本人である。

『韓国文化にどっぷりつかってはいるようだが、自分の意思ではなく、気づいたらはまりこんでいたというような意思の弱い飛び込み方』をし、『どぷーんとはつかれないが、そろりそろりと身を浸していく』(p126)。

 

八田氏は、一見、韓国人と同化したかのように遊び、飲んでいるのだが、実は、客観的な視点を崩していない。外国であるという自分の中の価値観、スタンスを崩さぬからこそ、相手の文化をありていに観察し受け入れることに成功している。そして、そろりそろりとその中に身をやつす。だからこそ、異文化コミュニケーションの記録として、はっとさせられるのである。

 

さて、全編を通じ、飲めや遊べやとさんざんけしかけるようなことをいっておきながら、第10章『机の前でも勉強しようよ!』で、八田氏はいきなり、『遊んでばかりではやはりダメ』(p202)、などと、とんでもない意地悪を云いだす。

 

つまり、こういうことではないだろうか。

「基礎があるから つぶしが利く」

机の前でかりかり記憶した知識があってこそ、机を離れたときにインパクトが得られる。ないものは使えない。使うべき知識あってこそ、なのだ。「知っている」ことと「使える」ことは別だから。

 

ちょっと裏話であるが、八田氏は、飲んだくれ、遊びほうけているようで、延世大学語学堂での勉強もきちんとこなしていた。宿題と予習に対する熱意は、担任の先生のかわいさ・美人度に比例していたとはいえ、ノリのいい先生には、課題とは別に授業をサボった言い訳の手紙を書いたり、けっこう難度の高い韓国語クロスワードパズルなど熱心に作成したりしては渡していたのだから、同じ学生として感心する。一生懸命練習してきたギャグや小噺〈もちろん韓国語〉を毎日教室で披露するのには参ったが・・・。また、朝から教室が酒臭く、その臭いの元が八田氏であることも多かったが・・・。ところが、私の方があきらかに、机の前でかりかり勉強している時間が長いはずなのに、しばしば「書き」や「聴き」のテストで、彼に負けて、随分と悔しい思いをしたものである。彼の「つぶし」の裏にはまさに「基礎」の努力がある。

 

また、ちょっと触れておきたいが、語学学習に関してよくある誤解が、「留学すれば、あっという間に上達してペ〜ラペラ」という、留学神話である。だが、ただ外国で暮らしたからって、そんなことは、99%、おこらない。あなたが12歳以上であるかぎりは・・・

 

どういうことか。よく、子供は言語習得が速いと云われる。ちょっと理屈っぽい話で恐縮だが、それは、人間には、生まれながらにして『言語獲得装置』が備わっているからである。この装置によって、人間は自分の身の回りで話されている言語を母語(=mother tongue, 第一言語)としてスポンジみたいに吸収し、まさに、「暮らしているだけで」自然に話せるようになる。

残念ながら、この『言語獲得装置』が働くのは平均12歳まで。(人によっては、18歳くらいまで働く場合もある。)

つまり、がっくりきてしまう現実だが、私たちが「さっ、留学しよっかなっ!」と外国に出て行く頃には、もう、時すでに遅し。意識して努力しない限り、暮らしているだけでネイティブスピーカーみたい、などということはあり得ない。(例外は、私の観察によれば、絶対音感、またはそれに近いものを持っている人。「書く」はさておき、聴いた音をリピートする能力があるせいか、「聴く」「話す」はむちゃくちゃ上手い場合が多い。)

理屈っぽい話をしたが、つまり、留学しようとしまいと、努力は必要ということである。

 

さてさて、それにしてもつくづくトリッキーなサブタイトルである。こんなにも勉強法を語っておいて「韓国語を勉強しないで勉強した気になる本」とは。・・・あれ?「勉強した気になる」って・・・? 確かに読み手は実際には勉強しないけど、八田氏の韓国留学生活を疑似体験し、勉強したような気になっていっているような・・・。じゃあ、サブタイトルそのままってことじゃないか!?

なんと!八田節の言葉遊びには免疫があるはずの私が、ころりと丸め込まれてしまった!!

・・・うーむ、しかたがない。表紙を開いたら、今度は素直に八田節を楽しむこととしよう。

 

2003年10月

 

 

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