書籍刊行情報
ブックレビュー(執筆者:Horangi)
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「居酒屋は僕の学校だった」 本書の本文の一番最初に出てくる言葉がこれである。「勉強するな、遊べ、飲め、歌え、騒げ」と薦めている。学研から出版されている本で、こんな言葉が冒頭に飛び出てくる本なんて他にないんじゃないかと思う。どうしちゃったんだろう、学研。大丈夫かな、学研。などといらぬ心配までしてしまう。まぁ、いらぬ心配はしないことにするとしても、この言葉にだまされてはいけない。とはいうものの。実は、私の韓国留学の際に、本書の著者から直々にもらったアドバイスがこれだったんじゃなかったかなぁと記憶している。上で「だまされてはいけない」と言ったのは、この「居酒屋は僕の学校だった」を真に受けて(というか、意味をはき違えて)居酒屋で飲んだくれてばかりいてはいけないからなのである。まぁ、当たり前ではあるが。で、かくいう私は見事にだまされ飲んだくれた留学生活に終わったので、帰国時には手が震えていたくらいなのだ。プルプル。 さて。本書は韓国語学習のための本ではあるが、本の中には文法的説明であるとか、単語表であるとか、普通の語学学習書ではメインとなるはずのものは脇役以下の扱いになっている。その意味で、この本は韓国語を勉強する際座右に置いておく本だとはなかなか言い難い。この本だけで韓国語能力試験に合格することはとうていできない相談である。では、この本の正体は何であるか。この本は二つの見方ができると思う。一つは、韓国へ語学留学した人、もしくは韓国に長期滞在した人が共感できるものとしての読み物。「あー、そうだったそうだった」とか、「いや、私はこうだったけどなぁ」と本書を片手に過ぎ去りし留学時代を振り返る縁(よすが)となるもの。私も韓国へ留学していたので、本書を読む際はどうしてもこうした読み方となってしまった。もう一つは、語学留学したことのない人、韓国へ行ったことのない人の韓国語・韓国への期待をふくらませるものとしての読み物。ただし、そうした人が注意しなければならないのは次の点。本書に出てくるエピソードは韓国に半年以上滞在したことのある人なら「うんうん」とうなずけるようなものではあるのだが、これらのエピソードはかなり濃い。相当長く滞在した人でもここにあるエピソードのような事態に巡り会えない人だっているはずだということである。だから韓国に行けば必ずこういう経験ができるというものでもない。ともかくも、このように考えると、本書は机の横に置くのではなく、著者には申し訳ないが枕元などに置く本だと思う。「気負わず気楽に読める」本だ。 しかし、語学の道はそう甘くない。遊んでいるだけではとてもではないが身に付かない。居酒屋は確かによい語学練習の場である。ほどよい酔いが「まちがったらどうしよう」という、日本人にはよくある(らしい)心のブレーキをほどよく壊してくれる。生きている韓国語と生きている韓国を身を以て体験できる。しかし、酔いが回るにつれてろれつは回らなくなり、一夜明ければ夕べ話したこと、そこで教わったことはたいてい消えている。「なんか教わったんだけどなぁ」という情けない記憶だけが残され、「ああ、もう二度と深酒はすまい」という一度も守られたことのない誓いをまたしても立てる羽目になる。初めのうちはまじめにメモを片手に飲んでいたりもしたものだ。しかし、酔いが回ると文字も酔い始め、翌日見ると何が書いてあるのか全くわからない暗号書となっていることもあったりする。酔っぱらうということは恐ろしいことである。なぜって、そのメモを書いている時は、その暗号で話が通じていたのだから。 要するに、本書の最後の章にもあるように語学は机でも学ばねばならないのだ。ちょっといやらしくなるかもしれないが、敢えて言うと、本書の著者の韓国語学習の密度の濃さ、的確さには目を見張るものがあり、著者が通っていた韓国の語学学校では、未だに著者が作っていた試験対策用文法ノートが「虎の巻」として日本人留学生の間で使われているくらいなのだ。韓国語のドラマや映画を、右手に鉛筆、左手に辞書、ノートを広げて見るということは、文字で書くほど簡単ではない。少なくとも私にとっては。ドラマや映画はただ見てしまう。聞き取れなかった所も、「多分こんなことを言っているんだろう」と何となく流してしまう。しかし、著者はそうはしなかったわけだ。本書の至る所に見える著者のエピソードは、こういった地道な努力が土台となっているのであって、そこを見落としてはならないように思える。当然といえば当然のことなのかもしれないのだが……。 結局、本書の言わんとするところは「語学の勉強は教科書と参考書だけでは決してできるものではない」ということ、ちょっと過激(?)に表現するならば「書を捨てて街に出よう」ということなのではないだろうか。言語なるもの、相手に自分の意志を伝えるもの、相手とコミュニケーションを取る道具であって、また大きく言えばその言語の属する文化そのものだとも言えよう。文化は頭の中・机の上だけでは学び取れない。生きた文化を知るには、その文化の中に生きている人と直に接するのが一番手っ取り早く且つ確実なわけで、本書ではその方法がいろいろと書かれているわけなのだ。もっと言えば、学習なるものは、決して受け身だけでは成就できないものなのだろう。本書の至る所に見られたのは著者の能動的な取り組みだった。 で、そろそろこの駄文を締めくくろうと思うのだが、やはりこの言葉で締めくくりたい。本書を読まれる際には、著者の「飲めや、歌えや、騒げや」という悪魔の囁きに決してだまされてはいけない。だまされた本人が言っているのだから……。 |
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