コリアうめーや!!メルマガバックナンバー

 

第25号

 

<ごあいさつ>

どーもー!!

コリアうめーや!!はついに第25号です。

なんともめでたい記念の号。いやいやどうもありがとうございます。

え、記念の号? 25号ってずいぶん半端じゃないのと思っている人もいるでしょう。

ところがどっこい。よーく考えてみてください。

コリアうめーや!!は月2回刊。

1年が12ヶ月だから、年に24回発行。

そうです。コリアうめーや!!はついに1周年を迎えたのです。

ワー、パチパチパチ。ピーピードンドンドン。

正確には3月21日に創刊ですが、

そのときの独り言でも述べたように、最初だけのイレギュラー。

3月15日発行の号を記念号とさせて頂きます。

と、いう訳でコリアうめーや!!第25号。

1周年記念ということで、少し趣向を変え、

「あの日あの時あの人と……」というタイトルで、

特定の人と食べた料理の思い出について語ってみたいと思います。

ちょいと照れくさいものの、それもまた一興。

時計の針を5年分戻し、過去の世界へスタートです。

 

 

<あの日あの時あの人と……>

 

(左)出来あがったタッカルビ。円形の鉄板を囲んで食べる。(写真提供:三平氏)

(右)大きなしゃもじで大胆にかき混ぜながら炒める。(写真提供:三平氏)

 

(左)こないだ食べたタッカルビは鍋ででてきた。やはりタッカルビ

は鉄板で食べたいと思う。

(右)クックドゥのダッカルビとアジア元気食堂のタッカルビ。最近

スーパーにいくとこの手の商品がたくさん出ている。

 

美味しいものを食べた思い出がある。

あの日あの時あの人と、一緒に食べた味わい深い思い出がある。

 

僕が初めて韓国に行ったのは1997年2月。

日本と韓国の青年交流プロジェクトがあり、

知り合いに誘われるままなんとなく参加してみた。

日韓の環境問題について考えるという、一応意味のあるプロジェクトだったが、

僕としては極めてお気楽な旅行気分での参加だった。

 

4泊5日の日程で行われた日韓青年交流には、

日本人、韓国人の若者、約30人が参加していた。

通訳やスタッフを含めると人数はもっと多い。

バス1台をチャーターして、韓国有数の工業地帯である蔚山(ウルサン)を訪ねたり、環

境問題を専門とする大学教授の講義を受けたり、ディスカッションをしたりと盛りだくさ

んなプロジェクトであったが、僕としては夜中に酒を飲んだり、カタコトの韓国語で雑談

したりするほうに夢中だった。

 

だいたいが20代前半の若者。

お勉強よりも遊ぶほうに情熱を注ぐのは当然である。

僕らは適当な英語とボディランゲージで冗談を飛ばしあった。

 

そのとき1番気があったのはヨンナムという女の子だった。

韓国語がある程度できる人であればわかると思うが、ヨンナムという名前は男の子のもの

だ。ヨンという字がどういうものか忘れてしまったが、ナムは「男」という字を書く。

韓国では男子選好主義というのがまだ根強く、家を継ぐ男の子を喜ぶ風潮が残っている。

 

実際、子供が3人いて、女、女、男という家庭は結構多い。

場合によっては女、女、女、男という家庭すらある。

男の子が生まれるまでチャレンジして、生まれたらおしまいという訳だ。

また、女の子が生まれても、次は男の子が生まれるように男の子風の名前を付けたりもす

る。最近は少なくなったようだが、ヨンナムもそういう理由で名付けられた。

 

僕らが仲良くなったのは、2人ともてきめんに英語が出来ないという理由からだった。

集まった面々はどういったことかそれなりに英語が堪能で、ペラペラスラスラと楽しく会

話を交わし、ウィットのきいた冗談などで爆笑したりしていた。

僕とヨンナムはその間で、「ねえ、今の笑いはなんだった?」

とポカンと顔を見合わせるということが多かった。

 

しかたないので落ちこぼれは落ちこぼれなりに仲良くなり、

拙い英語と拙い僕の韓国語。そして筆談とボディランゲージという、

非常に原始的かつ、基本的な会話に力を注いだ。

 

4泊5日の日韓交流は滞りなく進み、やがて感動のフィナーレを迎えた。

僕らは再会を誓いつつ、互いにガッチリ握手をして解散した。

 

日本側のメンバーはその日の飛行機で帰ることになっていたが、

僕だけはもう少し観光をしていく予定だった。

仲良くなったヨンナムにソウル観光を頼み、僕はみんなを見送った。

 

次の日、ヨンナムは1日かけてソウルを案内してくれた。

当時は何がなんだか訳がわからなかったが、

今思えば、徳寿宮や景福宮などの王宮に、ロッテワールド、

明洞に新村などメジャーな観光ルートを全部回っていた。

 

ヨンナムはここで王様がどうのこうのと、一生懸命に説明してくれたが、

カタコトの韓国語しかできない僕の頭の上には?マークが並ぶばかりだった。

韓国語ができたらいいなあ、とつくづく思った。

 

夕食にヨンナムは当時ソウルで流行していたタッカルビを食べに連れていってくれた。

 

タッカルビとは鶏肉と野菜をコチュジャンベースの甘辛ソースで炒めた料理。

大きめにゴロゴロと切った鶏肉とザク切りのキャベツ。そこにタマネギ、ニンジン、サツ

マイモなどの野菜を加え、韓国モチも入れる。大きな円形の鉄板で大胆に炒め、みんなで

争いながらつついて食べる。

 

今でこそタッカルビは日本上陸を果たし、ファミレスのメニューに登場したり、レトルト

食品として発売されたりと、広く知られるようになったが、当時はまったく無名の料理で

あった。現にその時に僕が抱えていった「地球の歩き方韓国96〜97年版」の料理紹介

には、タッカルビはまだ登場していない。僕も、うわーニワトリのカルビがあるんだー、

と素直に感動し、タッカルビを焼く鉄板のように目を丸くした覚えがある。

 

初めて食べるタッカルビはとても美味しかった。

辛くて、美味しくて、僕は口中をヒリヒリさせながら、

「ようし、僕は必ずもう1度タッカルビを食べに韓国にくるぞ。」

と、高らかに宣言した。

 

 

僕が次にタッカルビを食べたのは99年の秋のことだった。

日韓交流で韓国を訪れたときから2年半が経過している。

今度は旅行者としてではなく、留学生としてだった。

 

僕は3ヶ月待ってヨンナムに電話をした。

待ったのは韓国語で最低限の意志疎通ができるようになってからと思ったからだ。

結局2年半の間、なんの連絡もしなかったので、もう忘れているかな、と思ったが、

電話をかけ名前を名乗った瞬間に彼女は僕のことを思い出した。

韓国語を話す僕にひとしきり驚いた後、いやー懐かしいねえとつぶやいた。

 

僕らは学生の街、新村で再会した。

もうボディランゲージは必要なく、紙と鉛筆もいらなかった。

きちんと韓国語で会話を交わし、韓国語で笑った。

言葉が通じるのは嬉しかったが、わかりすぎるのも困ったものだった。

 

同い年だと思っていたが、実は彼女の方がひとつ年上だったこと。

ソウルではなく、けっこう遠くに住んでいること。

そして何よりも、あの97年当時は彼氏がいたこと。

韓国語が話せるって、そんなにいいもんでもないなあと僕は思った。

 

 

結局その後、僕らは1度も会っていない。

会おうという話はあったが、忙しさの中に紛れ込んでしまった。

僕は留学生として学校があったし、彼女は地元の信用金庫で忙しく働いていた。

 

もう会うことはないかもしれない。

会うことはないかもしれないが、

タッカルビを食べると、ふっと思い出したりもする。

 

 

<お知らせ>

タッカルビの写真をホームページで見られます。

ぜひのぞいてみてください。

http://www.koparis.com/~hatta/

 

<告知>

明日(3月16日)飲みます。

ヒマな人はおいでください。

 

場所:東京新大久保の某店。

時間:7時ごろスタート。

目的:雑多な人があつまってチムタクを食べる。

会費:4000円くらいを予定。

 

最初は友人との飲み会の予定でしたが、友人の友人などを含み、

わけわからないくらいの大人数になってしまいました。

せっかくなので大パニックにしてしまいたいと思います。

東京近辺に住み、シャレがわかってノリのいい方。

ぜひおいでください。コリアうめーや!!1周年記念です。

参加される方はこちらまで連絡をください。

hachimax@hotmail.com

 

<八田氏の独り言>

どんな飲み会になるのかなあ……。

 

コリアうめーや!!第25号

2002年3月15日

発行人 八田 靖史

hachimax@hotmail.com

 

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